消化器系の「白もの」の方が安く手に入る
もつ煮込みに関しては、すでに明治時代には食べられていたという記録が残っている(もつ自体は、奈良時代に食べられていた記録がある)。正肉に比べて安価なもつは、当時から庶民に親しまれていたようだ。
もつのうちでも大腸や小腸、胃袋などは、しっかり処理をしないと臭みが強いうえ、1頭の豚や牛から取れる量が、ほかの部位に比べて圧倒的に多い。豚のもつの場合、業界では、ハツ(心臓)やレバ(肝臓)などの循環器系を「赤もの」、シロ(小腸、大腸)やガツ(胃袋)、テッポウ(直腸)などの消化器系を「白もの」と呼んで区別するが、現代においても「白もの」のほうが比較的安く手に入る。
ここからは推測の域を出ないが、仕入れ値が安いとなれば、当時の酒場としてはそれを商品化しないという手はなかったはずだ。独特の臭みが気にならず、オペレーションも楽な提供方法はなにかと考えて行きついたのが、下処理したもつを大鍋で煮込んでみそやしょうゆで調味した「もつ煮込み」だったのではないか。それが安くて栄養価の高いつまみが求められた下町の大衆酒場でヒットし、定番メニューになったのではないかと考えられる。
「内蔵肉を食べる文化」を朝鮮半島出身者が広めた可能性
それでは、東京のいわゆる下町、地域でいえば東側で、もつ煮込みを提供する酒場が多いのはなぜなのか。ひとつは、山の手地区に比べれば、貧しく、庶民の町であったからだろう。
加えて、日本文化の研究者で居酒屋関係の著作も多いマイク・モラスキー氏の著書『吞めば、都』(ちくま文庫)のなかに興味深い記述があった。葛飾区内の博物館の学芸員が記したエッセーを引きながら、東京の東側、特に江戸川流域にもつ焼き店が多い理由は、朝鮮半島出身者が多数住んでいたからではないかという指摘である。事実であれば、内臓肉を好んで食べる彼らが住んでいたからこそ、東京の東側の「もつ文化」がより栄えたのではないかということになる。
そう考えると、冒頭で紹介したホッピー通り周辺にも朝鮮半島出身者のコミュニティーがあるし、関西に話が飛ぶが、ホルモン(大阪では「もつ」といわず、「ホルモン」と呼ぶことが普通)焼き店が密集する大阪・鶴橋の近辺にも、戦前から朝鮮半島出身者が数多く居住していた。これも偶然というわけではないだろう。
余談だが、「ホルモン」の語源は「放る(捨てる)もん」だとする説があるが、どうやらこれは俗説。本当はドイツ語、もしくは英語のhormon(e)らしい。「放るもん」のほうが、大阪っぽくておもしろいのに残念だ。