狭いヒエラルキー内の勝ち組に意味はあるか
若い人はまだ経験がないかもしれないが、いずれそういう光景を見かけることになる。「縦割構造のサイロの中、世間の目に見えない序列構造の中で『上』とされるポジションをつかんだことで、過去に属していた小さな組織やコミュニティのヒエラルキー内で上位に立っている人」となり、その結果、その小さな集団で、ヒーロー扱いされている人のことを、私は「同窓会ヒーロー」と呼んでいる。狭いサイロの中の、見えない序列における勝ち組だ。
留意したいのは、多くの同窓会ヒーローは所属する組織内だけに通用する「社内価値」最大化に邁進してきた人たちであり、いざ組織を離れるときになって社内外どこでも通用する「共通価値」を提供できるかどうかはおおいに疑問ということだ。
十分な資産や退職金があれば話は別だが、人生100年とか生涯現役という言葉が語られるこの時代、組織から離れたときに「自分はもう何の価値も生み出せない」という現実に直面するのはなかなかしんどいことである。それは単に定年後も稼げるとか稼げないとかいう問題にとどまらず、そこから先の人生をどう生きていくかという根源的な問いに関わるからだ。
もちろん若くして同窓会ヒーローになった者たちも同様だ。社内価値拡大にまい進して出世し社内でもてはやされ、これなら外でもやれるだろうと転職・独立する段になって同じ現実に直面する。
有能だと思われた人が無能になる時代
同窓会ヒーローはどこに生息しているかといえば、多くは役所や大企業など、バリューチェーンのヒエラルキーあるいは我々のマインドに染みついた見えない序列の上位にいることが多い。要するに、ヒエラルキーの下位に位置する企業に仕事を発注して、その果実である他人の努力をぱくりと食べる立場にいるわけだ。
彼ら彼女らは、そのグループの中では、たしかに、もともとは本当に能力があり、磨けば光る存在になったのかもしれない。ところが、実際には、ヒエラルキーの上位で長い時間を過ごせば過ごすほど、実際に自分が手を動かす機会は減り、仕事を他人に発注はできても自分では実行できなくなる。また前例踏襲にこだわりあえてリスクをとって新たな挑戦をすることもなくなる。
このような人たちは、やがて社内価値、あるいはヒエラルキーの上位に位置する役所や企業の狭い範囲だけで通用する価値がすべてとなり、他の会社、組織では通用しない、共通価値を生まない無能な人材になっていく。そこはあまりに居心地がよいので、この無能化とも言うべきリスクには気がつかない。有能と思われた人も、同窓会ヒーロー人生を送っているうちに、やがて無能な人になってしまう。
今のデジタル時代から見ると、このような食物連鎖的生態系とも言える構造はまさにガラパゴスであることは間違いない。私が今を生き抜くために必要だと考えている「インディペンデント・シンキング」を身につけ、共通価値を拡大させ、新たな稼ぐ力を身につけるためには、こうした既存の序列の概念、マインドから脱却することが必須というわけだ。