記者が政治家を忖度することで失われるもの

この共同通信の削除に対し、田崎記者は、

「特に今回の記事は、権力と報道という緊張関係について指摘する内容であり、かつその核心部が削られた」

と指摘。そこには田崎記者の問題意識が詰まっている。

私がほかの記者に歓迎されていないことは明らかだ。私の取材によって「クラブ側の知る権利が阻害される」と同業の記者が言ってしまっている。

田崎記者はこうまとめている。

会見の場で質問を遮る妨害、さらには記者クラブに対し要請文をもってかける圧力。権力者によってこれほどあからさまに私たちの報道の自由が抑圧されたことが戦後あっただろうか。
「権力は常に暴走し、自由や権利を蹂躙する」という歴史的経験を忘れてはならない。
次なる闇は、その片棒を報道の側が担ぎ始めるという忖度による自壊の構図だ。その象徴は、削られた8行に込められていた。

この一件をもって、会見場でのやり取りは、権力者の問題だけではない、一人ひとりの記者がメディアと権力の関係をどう考えるかという大きな問題なのだと感じるようになった。

記者たちが政治家の顔色をうかがいながら接するようになれば、結果的に「国民の知る権利のため」という大きな役割を放棄することになる。

「記者クラブ」制度の問題点

日本には記者クラブという独特の制度がある。報道に携わっていない方にはわかりにくいこの制度を簡単に紹介したい。

記者クラブは、国内の新聞社やテレビ局などで構成され、中央省庁や国会・政党、業界・経済団体、各地方自治体や警察本部などそれぞれについて、およそ全国に800程あるといわれる。私が現在、出席している官房長官会見は内閣記者会が主催している。多くのクラブでは、事務連絡や会見の司会などの「幹事業務」を加盟各社が輪番で務めている。

双方にとってメリットがあるからこそ続いている制度なのだが、半面、問題点も長く指摘されてきた。

まず、記者クラブに加盟していないメディアが定例会見に参加する際には、クラブ側の了解がなければ参加できず、参加できても質問できないなどのハードルがある。

民主党政権時にはその閉鎖性が問題視され、加盟社以外の媒体の記者やフリーランスなども参加できるよう、記者会見のオープン化が進んだ。

自民党の政権復帰後もフリーランスが参加できる会見は増えているという。だが、クラブ員以外の記者が乗り込んで活発に質問する会見は減っている。

さらに官房長官会見については、ネットメディアのなかでは民主党時代から参加しているニコニコ動画は常時参加できているが、他のネットメディアは認められていない。そのため、官邸会見は、閉鎖的・排他的との批判が根強い。