謀略とは、基本的に知恵で戦う類のものであり、涼やかな頭脳労働のイメージが強い。ところが『三十六計』には、仕掛ける側が、いわば体育会系的な汗臭い努力をせざるを得なくなるという、面白い謀略があるのだ。
それが「無中生有(むちゅうしょうゆう)」。具体的には、次のように説明されている。
「無いのに有るように見せかけて敵の目をあざむく。しかし、最後まであざむきとおすことはむずかしいので、いずれ無から有の状態に転換しなければならない。要するに、仮のかたちで真の姿を隠蔽し、敵を錯覚におとしいれること」
実は、この謀略とそっくりの事例が昨今のパソコン業界にあるので、詳しくご紹介しよう。
1990年代、パソコン業界が熾烈な競争を繰り広げていたとき、GOという会社がそれまでにない新製品を開発した。
それは、画面をペン型の端末でタッチし、操るという画期的なもので、当時大きな話題になった。この強敵出現に危機感を覚えたマイクロソフトは、急遽マスコミを集めて、イベントを行う。
それは、まったく技術がないにもかかわらず、GO社とまるで同じ技術を持っているかのように見せかけるものだった。壇上でマイクロソフトの社員は、こんなデモンストレーションを行っていく。〈「OK、次にもうひとつ、われわれの成果を紹介しよう」メイプルスが言った。
「ここに文書があり、タブレットがある」ペンを持ちあげて、振ってみせた。「ワード文章にいろいろなものを書き込んでみよう」。
メイプルスがしゃべり続ける間に、画面にはさまざまなチャートやイメージが映し出された。彼が実際に演壇でしゃべりながらペン・タブレットを使って書いているのだと、だれもが思い込んだ。しかし実際には、ビデオ・テープを回しながら、白い紙の上にペンを走らせているまねをしているだけだった〉(『ビル・ゲイツの罪と罰』マーリン・エラー ジェニファー・エズトロム共著 三浦明美訳 アスキー)
このデモンストレーションに、マスコミも顧客もすっかり騙されてしまう。「マイクロソフトが新製品を出すなら、それまで待っていよう」と多くの人が考えるようになったのだ。
この隙に、マイクロソフトは死に物狂いにペン・タブレットの開発を進め、ようやく1年後に本物の製品を作り上げることに成功する。
マイクロソフトの技術陣にすれば、自社に影も形もなかった技術を、いきなりすぐに生み出せと言われ、まさしく「無から有を生じる」ために突貫工事を強いられる羽目になったのだ。もしここで「できませんでした」となると、すべては水の泡。そのプレッシャーたるや尋常ではなかったろう。
つまり、この謀略を成功させるためには、体育会系的な汗と根性が不可欠になってくるのだ。
ただし、こうした謀略はビジネスにおいては両刃の剣でしかないのも、また事実だ。マイクロソフトは、この手法――「ソフトウェア」に引っかけ、蒸気のように実体がない「蒸気(ペーパー)ウェア」と呼ばれる――を度々使ったため、次のように評されるように至った。〈業界には「マイクロへどろ」という言葉が広まりだした。もとインテル社員のリッチ・ベイダーはそれをこんな風に言った。「どこか倫理観に欠ける感じがあった。目的のために手段を選ばずの感覚とでもいおうか」〉(『帝王の誕生』スティーブン・メインズ ポール・アンドルーズ共著 鈴木主税訳 三田出版会)
「へどろ」と呼ばれても何ら痛痒のない人や組織ならまだしも、われわれ一般人は、身を守る知識のレベルに留めて、手など出さない方が無難なのだ。