希代の名優・原節子、激動の銀座を生きた伝説のマダム……。「女」を描き続けたノンフィクションの名手・石井妙子が新刊『日本の天井』(角川書店)で描いたのは、時代を変えた女性たちの群像劇だった。彼女たちは何を変えたかを描くことは、現代社会で変わっていないことを描くことでもある。女たちの歴史をたどることで見えてくる、残り続ける壁とはなにか――。
ノンフィクション作家の石井妙子さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
石井妙子(いしい・たえこ)/1969年生まれ。白百合女子大学大学院修士課程修了。著書に『おそめ』(新潮文庫)、『原節子の真実』(新潮社、新潮ドキュメント賞)、『日本の血脈』(文春文庫)、『満映とわたし』((岸富美子との共著・文藝春秋)などがある。

「順当に出世していった。それだけのこと」

今からわずか40年前のことである。1979年、大手デパート「高島屋」の石原一子は女性として初めて取締役になった。ざわつく世間を横に、彼女はこんなことを思う。

「私は誰よりも仕事が好きで誰よりも一生懸命働き、結果を残した。だから順当に出世していった。それだけのことだけど、こういった当たり前のことがニュースになるほどだったんです。当時の日本は。私は確かに働く女としてはトップランナーだった。だから、先頭にいる者の責任も感じていた」

石井妙子『日本の天井』(KADOKAWA)

今からわずか35年前のことである。1984年の国会で、旧労働省婦人局長の赤松良子は与野党から厳しい追及を受けていた。時代の分水嶺になった男女雇用機会均等法を巡ってである。結果的に1985年に可決されるが、その過程で赤松の進退を含む質問まで飛び交った。その時を振り返り、彼女は語る。

「私自身が自分の問題として誰よりも、この法律の誕生を願っていた。自分自身が被害者だったからよ」

石井が引き出した「第一号」の女たちの言葉は、前例を壊し、制度を作り上げることの困難さと同時に、彼女たちの気概を映し出す。

元々は月刊誌『文藝春秋』の企画だった。立案者は男性編集者で、とても熱心だった。雑誌に載せるだけではもったいないと、推敲を重ねて、1冊の本として完成させた。

彼女たちが直面した悩みや差別を書かないと意味がない

——彼女たちを選んだ基準を教えてください。

重視したのは、実力で天井を突破した人を選ぶことでした。実力があり、努力を重ねた彼女たちが直面した悩みや差別を書かないと意味がないと思っていました。女性活躍という名目で、男社会の中で数合わせで「女性初」になったという人もいるにはいるんですね。

でも、そういう人に話を聞いて、描いたところで男社会でうまくやったという以上の話にはならない。『文藝春秋』の編集者とも協力して、リストアップして知名度ではなく、まず実績があり話の中身が濃い人を選びました。

彼女たちに共通しているのは真摯さと情熱。ビジネスや行政の世界だけでなく、漫画家の池田理代子さん、落語家の三遊亭歌る多師匠……。とりわけ情熱は、彼女たちの大きなモチベーションだったと思います。誰一人として、女性初という記録を立てようとか、女性初の何かになろうなんて考えていない。それぞれの仕事と向き合って、突き詰めた結果として女性初になっているんです。