※本稿は『日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち』(角川書店)の一部を再編集したものです。
「経済は女にはわからない」という偏見
学界、官界よりも、なお、いっそう女性に厳しく門戸を閉ざしたのが日本の実業界だった。
経済は女にはわからないという社会通念が蔓延しており、その上、日本の会社組織は軍隊に模された徹底した男社会であって、女性たちの参入を拒否してきたからだ。
軍隊に女はいらない――。上司の命令は絶対でタテの上下関係が何よりも重んじられる。そんな日本型企業は男だけの戦場であり聖域であって、女は就職しても結婚までの腰かけの状態と見なされ、同等の戦力としては受け入れてもらえなかった。
男女雇用機会均等法ができる前まで、女性を正社員として男性と平等に雇う会社は、ほとんど皆無。入社させても極めて限定された補助的な仕事を短期間のみ任せ、定年までは働かせない。そうした日本社会で役員にまで上りつめたのが高島屋百貨店に入社して常務取締役になった、石原一子である。
高島屋において、もちろん初の女性役員であったが、日本の歴史においても創業者の血縁でなく一部上場企業に女性役員が誕生した、初めてのケースだった。
彼女の役員就任は画期的なニュースとして、マスコミに大きく報じられた。昭和五十四(一九七九)年のことである。
その後、石原は女性として初めて経済同友会にも迎えられる。
働く女性への偏見が強かった時代に、石原は、ひとりで岩盤を砕き続け、その存在は働く女性たちにとって天に輝く星であった。
理不尽な妨害にも屈せず「働き続ける」
周囲の偏見をものともせず、「働き続ける」ことを選んだ石原の、パワフルな行動力の源泉、それは彼女の前半生に起因する。
満洲に生まれ、日本で教育を受け、敗戦を経験し、民主主義の到来を喜んだ。様々なことを青春時代に彼女は経験し、独自の人生観、仕事観を抱くのである。
高島屋で販売員から常務取締役となったが、その過程では男性社会の中を生きる、たったひとりの女性として理不尽な妨害にも遭った。
だが、そうした苦境に屈することなく、退社後も彼女は自分が実社会で培った経験と能力を今度は、一市民としての生活のなかで余すところなく生かしもした。自分が暮らす国立市で起こったマンション建設をめぐる反対運動では、多くの人が尻込みをするなかで代表を引き受け、矢面に立って闘ったのだ。「企業社会から市民社会に身を移して、改めて日本企業の、日本企業に働く人間の問題点にも気づいた」と本人は語る。
国立市の自宅を訪ねてのインタビュー時、石原は九十代になろうとしていたが、赤いセーターに同色の口紅がよく似合い、何を聞いても歯切れのいい言葉が返ってきた。キャリアウーマンとして売り場をハイヒールで闊歩していたという、往時の姿が偲ばれた。
一世紀に近い歳月を生き、今の日本社会に何を思うのか。起伏に富んだ人生の軌跡とともに、現代の社会への疑問、違和感までを縦横に語ってもらった。