「日本語を知らない赤ちゃん」に日本語を聞かせてみた

意味不明な雑音と言えば、ふだん耳にしているのが英語である赤ちゃんにとって、オーディオから聞こえてくる日本語は、やはり雑音にすぎないのでしょう。私の研究室でこんなことがありました。

1歳前後の赤ちゃんに日本語のセリフを聞いてもらう研究で、赤ちゃんの母親に、「これから日本語のセリフを聞いていただくのですが」と説明しかかると、その母親は私を遮って次のように言いました。

「ああ、それでしたら、うちの子はダメかもしれません。私、自分がバイリンガルなので、家では英語でしか話しかけていないし、お父さんは日本語しか話せないんですけど、この子が起きているときはほとんど家にいませんし。この子、日本語を知らないと思います」

「でもまあ、せっかく来てくださったのですし」ということで、試しにその赤ちゃんにもいつもの日本語のセリフを聞いてもらいました。すると、その赤ちゃんは本当にまったく興味を示さないのです。音声が流れ始めたとき、ちらっと音のする方を見ることはしたのですが、じっと音のする方を見つめ続けるようなことはせず、すぐに何だかリラックスした様子で部屋の中をあちこち見回し始めたのでした。

大人は「外国語を学習しよう」と思ってオーディオを聞く

たいていの子どもは、日本語のセリフが聞こえ始めると、じっと音がする方を見つめ、時には少し嬉しそうな表情さえ浮かべ、音声に聞き入ってくれます。ですから、この違いには驚きました。

「いやいや、赤ちゃんが集中して聞いてくれているか、まったく興味を示さないか、なんて、それは見ている方の思い込みでしょう」と言われれば、返すことばはありません。

もちろん、このような印象だけでは、データとは言えず、研究として報告することもできません。それでも、日本語のセリフにまったく興味を示さないその赤ちゃんを見ながら、そのとき私はふと思ったのです。なじみのない外国語のオーディオを聞かされたときの赤ちゃんも、こんな感じなのではないかと。

このように1歳前後とはいえ、何かの話し声を聞かされれば、赤ちゃんには、それがいつも耳にしている言語かどうかぐらいはすぐにわかります。その意味では、なじみのない外国語の音声は、赤ちゃんにとっては意味不明なただの雑音です。それが何なのか、自分の生活にどう関係があるのかなど、さっぱりわからないはずです。

対して大人は、初めから「その外国語を学習しよう」と思って、オーディオを一所懸命に聞くわけです。それなら、役に立たないはずがありません。

ここにもまた、赤ちゃんと大人とのあいだの大きな違いがあります。