憧れの職業のひとつ、宇宙飛行士。試験にパスするのはどういう人か。2010年に日本人2人目の女性飛行士として宇宙に飛び立ち、国際宇宙ステーションで勤務した山崎直子氏に、イーオンの三宅社長が話を聞いた――。(第1回)
宇宙飛行士の山崎直子氏
撮影=原 貴彦
宇宙飛行士の山崎直子氏

地球を真上に見上げた不思議な体験

【三宅義和(イーオン社長)】山崎さんは2010年4月にスペースシャトル「ディスカバリー」に搭乗して宇宙での活動を経験されました。打ち上げの時に印象的だったことは何だったでしょうか。

【山崎直子(宇宙飛行士)】打ち上げ時は3Gというものすごい重力加速度がかかりますが、8分30秒後には体がフワッと浮くのです。宇宙に到達した証しです。シートベルトを外して窓の外を眺めたのですが、そのとき見た景色はいまでも強烈に覚えています。

地球が視界の真上に見えたのです。小さなときから宇宙というものは地上から見上げた空の先にある、まさに仰ぎ見るよう存在だったのに、自分が400キロメートルも上空まで打ち上げられてみると、なぜか今度は自分が地球を見上げている。青く輝く地球にも感動しましたが、実はそのことのほうが驚いたんです。

【三宅】それは宇宙に行ってみないとわからない体験ですね。

【山崎】そうですね。しかも宇宙はとても静かなんです。スペースシャトルも国際宇宙ステーションもマッハ25、秒速8キロメートルというものすごいスピードで回っているのですが、空気がないので新幹線のように風をビューンと切る音がしません。本当に静かですよ。

【三宅】そうですか。宇宙から地球を見るという体験は本当に貴重だと思うのですが、どういうことを感じられましたか?

【山崎】地球そのものが宇宙船のように見えました。地球が浮いている。私たちが乗っている宇宙船も浮いている。そしてお互いに対峙(たいじ)している。そんな感覚です。

【三宅】たしかに地球も浮いていますからね。

【山崎】そうなんです。地上にいるとなかなか意識できませんが、地球それ自体が、マッハ90を超えるスピードで太陽の周りを回っています。そう考えると、狭い宇宙船の中で世界中から集まったクルーと過ごすことと、地球上で全生命と過ごすことは、本質的には同じだなと感じました。

「チャレンジャー号」の事故で宇宙飛行士をめざす

【三宅】宇宙への憧れは子どもの時からあったのでしょうか。

【山崎】ありました。私は1970年生まれなので、まだ日本人は誰も宇宙に行っていない時代に幼少期を過ごし、アポロ打ち上げもリアルタイムでみたわけではありません。ですから正直、宇宙飛行士のことはよくわかりませんでした。ただ、当時は『宇宙戦艦ヤマト』や『スター・ウォーズ』のようなSFがはやっていて、それでだいぶ感化されました。「いつか宇宙に行きたい!」というより、「大人になったらみんな宇宙に行く世の中になるんだろうな」という感じでしたけど。

【三宅】実際そうなりつつありますからね。では、具体的に宇宙飛行士を意識されたきっかけは何ですか?

【山崎】1986年のスペースシャトル「チャレンジャー号」の打ち上げをテレビでみたことですね。いままで親しんできたのはフィクションの世界でしたが、ブラウン管に映っていたのは本物の宇宙船で、そこに本物の宇宙飛行士が乗っている。そのことが印象的でした。残念ながら打ち上げから73秒後に爆発してしまうというショッキングな結果になりましたけれども。

【三宅】あの映像は衝撃的でしたね。

【山崎】はい。でも逆に、宇宙開発はまだ完璧ではない、まさに最先端の領域で、そこを切り開くべく大変な努力をしている人たちがたくさんいる。そういったことが現実として伝わってきました。

とくにあの事故で亡くなった宇宙飛行士の中に、マコーリフさんという学校の先生がいらっしゃいました。彼女は宇宙から授業がしたかったそうです。当時の私は学校の先生に憧れていましたので、彼女のその思いを知り一気に宇宙が自分ごとになり、結び付きが強まりました。

【三宅】そうでしたか。