テキストデータと画像データの本質的な違い

われわれは、あまりに大量の写真を抱えるようになったために、見たい写真を見いだすのが困難になってきています。写真は、テキストデータとは、次の点で違います。

第1に、自分が作成するテキストは、それほど量が多いわけではありません。ところが、写真はシャッターを押すだけで撮れるので、あっという間に量が増えてしまいます。

第2に、多くのテキスト資料は、時間が経つと内容が陳腐化して価値が落ちます。そこで、時間順に置けば、陳腐化したものが押し出されていきます(筆者が提案する「押し出しファイリング」)。ところが、写真について面倒なのは、古い写真に価値がないわけでなく、記念写真の類いは、むしろ古いものの価値が高いことです。

情報の整理ばかりやるわけにいかない

第3に、テキストの場合は、一度編集したものは、自動的にトップに送られます。これによって、ある種の秩序を自動的に作ることができます。ところが、写真ではこれができません。

野口悠紀雄『「超」AI整理法 無限にためて瞬時に引き出す』(KADOKAWA)

第4に、テキストでは、検索を使えます。キーワード検索をすれば、そして、文書が検索可能な状態になっていれば、保存した文書の中から目的のものを見いだすことは、比較的容易です。ところが、写真については、こうした方法が使えません。グーグルフォトでは、画像認識機能を用いて人間の顔などを判別し、似た人をアルバムにまとめるというサービスを提供していますが、現状での機能は、とても満足できるものではありません。

写真にしてもテキストデータにしても、情報の整理ばかりやっているわけにはいきません。他にやるべきことが山ほどあります。いまや人間は、自分で管理できないほど大量の情報を抱えるようになりました。大量の情報を生産したものの、それを有効に利用できないという皮肉な結果に陥っています。