なぜ日本はアメリカに対して真珠湾攻撃をしかけるという“必敗の戦争”に突き進んだのか。学習院大学学長の井上寿一氏は「開戦回避の可能性は直前まであった。しかし、海軍は組織利益を守るために、戦争に突き進んだ」という――。
真珠湾攻撃(写真=GRANGER.COM/アフロ)

根強く語られるルーズベルト陰謀論

戦後の日本外交史研究は、日米開戦史研究だったと言っても言い過ぎではないほど、質量ともに膨大な知見を生み出し、通説を打ち立てている。

それでも根強いのがルーズベルト陰謀論である。この陰謀論がまちがっていることは、歴史実証主義の研究者にとって常識である。この点は須藤眞志『真珠湾〈奇襲〉論争』(講談社選書メチエ、2004年)にあらかたまとめられている。

陰謀論への第1の反証は暗号解読の問題である。アメリカ側が解読できたのは外務省の暗号だった。外務省が真珠湾攻撃を知るのは直前になってからのことである。肝心の海軍の暗号は、翌年春まで解読できなかった。

第2の反証は無線封止の問題である。真珠湾に向かった南雲機動部隊は、厳重な無線封止下にあって、弱い電波を出して連絡し合うこともしなかった。そのような微弱電波の傍受解読の証拠はない。

それでもルーズベルト陰謀論はなくならない。ルーズベルト陰謀論は、真珠湾攻撃=日本の「卑怯な騙(だま)し討ち」との非難を躱(かわ)すことができるからである。ルーズベルトが陰謀を働いたのであれば、悪いのはアメリカであり、日本の方こそ騙されたことになる。

開戦回避の可能性は直前まであった

戦後の日本外交史研究の関心は別の所にあった。それは要するに開戦回避の可能性だった。時間の経過とともに狭められながらも、開戦回避の可能性は直前まであった。

なぜならば英国やオランダとは異なって、日本はアメリカとの間でアジアの植民地をめぐる対立がなく、戦争に訴えなければ解決できないような問題はなかったからである。

日米開戦は日本からさきに手を出さなければ回避できたのだから、11月26日のハル・ノートをめぐって交渉を続けることにも意味はあった。交渉が続けば、ほどなくして東南アジアは雨期に入る。作戦行動がとりにくくなる。そこへドイツに対するソ連の反攻が始まる。対米開戦に踏み切る前提となっていた欧州戦線におけるドイツの優勢が崩れる。開戦を決意するのはむずかしくなる。開戦は回避される。

以上のように開戦回避の可能性が詳(つまび)らかになったあとに、残された疑問があるとすれば、それは「回避可能だったのに、なぜ戦争に踏み切ったか」である。

日米の国力を比較すれば、合理的な結論は開戦回避以外に選択の余地がない。結論が自明であるのになぜ無謀な戦争に突入したのか。