仏教と神道では「信じる」ことはさほど重要ではない

文化庁が毎年『宗教年鑑』という報告書を出している。2018年度版によれば、神道系の信者総数は約8616万人、仏教系は約8533万人であり、合わせて1億7000万人を超える。総務省の推計では、日本の総人口は約1億2631万人(2019年1月1日現在)であり、神道と仏教の信者が人口を超えてしまう現象が起きている。

これには、各宗教団体による報告数をそのまま掲載する『宗教年鑑』の調査法にも問題がある。だが、仮に信者数を半分に割り引いたとしても、日本人の2人に1人以上がなんらかの宗教の信者であるというのは、あまりに実感とかけ離れているのではないだろうか。

私見では、「イエスを救世主と信じる」というのと同じような意味での信仰は、日本の宗教文化にはなじまない。日本の伝統宗教である仏教と神道では、そもそも「信じる」ことはそれほど重要ではないからだ。

神道には信じるべき明確な“内容”がない

たとえば神道国際学会のウェブサイトには「神道とは何か?」を説明するページがある。要点を抜き書きすると、下記の通りだ。

・神道は古代から現代まで続く土着の民族宗教であり、アニミズム的な自然崇拝の性格が強い。
・各地にさまざまな慣習はあるが、宗教的体系はない。
・教祖もおらず、聖書のような教典もない。
・神道に神学はなく、氏子は信者ではない。

要するに、神道は信じるか信じないかという以前に、そもそも信じるべき明確な内容を有していない。だからこそ、明治維新以降の王政復古では、「神道は宗教ではない」というレトリックが可能になったのだ。そして現在でも、ある神社の信者数(=氏子)は、その地域の住民数として報告されるのである。

仏教の場合、神道よりも確固とした教学の伝統がある。大ざっぱに言えば、仏教が日本に伝来したことで、それまであった漠然とした自然崇拝があらためて神道という独特の宗教観として、それなりに形成された。

しかし、高い抽象度と論理性を備えた仏教の教義が一般民衆に浸透しているかというと、それはまた別の話だ。曹洞宗は定期的に自宗の調査を行っているが、そこから見えてくるのは、先祖供養という本来は仏教とは無縁の実践の広がりである。