慶應での経験がユニクロ&ローソン社長のベースになっている

私はユニクロやローソンをはじめさまざまな企業の経営に携わってきましたが、戦略的に自分のキャリアプランを考えてきたわけではありません。ただ目の前の壁に必死で向き合っていると、「こっちの壁にも向き合ってくれ」と頼まれて、新たな壁に必死になって突き進んでいく。それが7年サイクルぐらいで続いてきた感じです。

今は、ITというこれまでとはまったく違う分野に突き進んで、1から人間関係をつくったり、プログラミング教室に通ったりして必死になって、この新しい「壁」と向き合っています。私は、意思決定の際、チャレンジするリスクよりも、チャレンジしないリスクを考えてしまうタイプです。

それは福澤先生の教えである「学び、努力し、成長し続ける」というモチベーションが根底にあるからだと思います。「学び」がなく、成長が止まる状態が一番嫌なんです。

それからもうひとつ、学生時代に得た糧といえばやはり友人。どの段階から入ってこようが、慶應のカルチャーから巣立った仲間は絆が強い。年代は違っても、DNAを共有している信頼感があります。実際、経済界にいると先輩だらけで、たいていの方とはアクセスできる。

ただ私は群れるのは嫌いだし、出身校も国籍も関係なく、誰とでもオープンに付き合っていますが、それでも理念を共有している慶應の仲間は私にとってスペシャルであることは確かです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/mizoula)

「慶應に入れたから大丈夫」なんて、そんな甘い時代じゃない

今後、間違いなくグローバル化がさらに進み、テクノロジーの進化もハイピッチになっていくでしょう。そういう変化の時代にあって、独立自尊の精神を持って自ら学び、成長し続けて、最終的に国家に貢献できる人材を輩出するという理念はすばらしい。

経営者の視点で言えば、自分の子供が慶應で学べる機会があるのなら学ばせたい。

ただ「慶應に入れたから大丈夫」なんて、そんな甘い時代じゃないですよ。早い段階で日本の外に飛び出して世界を知ることも大事だし、テクノロジーの基本的な考え方を身につけることも大事だと思う。うちの子たちには、三者三様の形でいいので、やりたいことを見つけチャレンジし、成長して、世の中に貢献してほしい。

玉塚 元一(たまつか・げんいち)
デジタルハーツホールディングス社長
1962年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、旭硝子(現:AGC)、日本IBMを経て、98年ファーストリテイリング入社。2002年に社長に。05年にリヴァンプを設立し代表取締役に。10年にローソンに入社し社長、会長を歴任。17年6月から現職。
(構成=小川 剛 撮影=市来朋久 写真=iStock.com)
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