ビジネスの現場でも見かけることの多くなったスマートウォッチ。葬式のような厳粛な場でも着用したいという人たちもいる。ITガジェットジャーナリストの土屋亘氏は「そもそもアリ/ナシの二元論で考えるものではない。スマートウォッチの本質は『ものそのもの』ではなく『使い方』にある」という――。
土屋氏のアップルウォッチ。NIKEとコラボモデルのスポーティな穴あきベルトに変えて職場でも着用する

アップルウォッチを着けて採用面接に行った日のこと

5年ほど前のことだ。ある企業の新卒採用面接の前に友人とお茶をしていた。

彼は、筆者の腕に着けていたアップルウォッチ(Apple Watch)を指差し、こういった。

「それ、大丈夫なの?」

当時はまだ、スマートウォッチがいまほど浸透していなかった。それに「カジュアルなもの」という世間の認識を抜け出せていなかったから、新卒採用面接にはふさわしくないという空気感が確かにあったように思える。

そういったスマートウォッチに対する偏見に対し、やり場のない憤りを覚えた。

どうしてスマートウォッチはダメなのか、デジタルガジェットだからか? ビジネスの現場でテクノロジーの進化を受け入れられなければ、日本の未来は明るくないな……。

あれから5年たったいまはどうだろうか。

少なくとも筆者の周りでは、スマートウォッチ(ほぼほぼアップルウォッチだが)を着用して仕事をしている人が圧倒的に増えてきたように思える。筆者がデジタル関係の仕事をしているのも1つの要因かもしれないが、街中でもスマートウォッチを着けたスーツ姿のビジネスパーソンを見かけるようになった。

葬式でディスプレーを光らせる行為

着用シーンは確かに増え、その普遍性も着々と高まってきているのだ。ただし、スマートウォッチが当たり前になる日はまだ遠いように思う。正しい使い方をできていない人が一定数いるからだ。

先日は、葬式の参列者にスマートウォッチを着けてきた人がいた。それ自体はいいのだが、使い方がなっていない。その彼は葬式というマナーが重視される場にもかかわらず、悠々とディスプレーを光らせたりメッセージアプリを開いたりしていた。

そうした非常識的な使い方がスマートウォッチの地位を落とす。結婚式でもおなじような光景をよく見かける。その都度、就活時代の憤りがよみがえってきて憂鬱な気分になる。

ただ考えてみると、これまで「スマートウォッチの現在地」については語られてこなかった。だからこそ、スマートウォッチの着用はどこまでセーフで、どこまでがアウトかを考察する必要があると感じた。

具体的には「①仕事におけるスマートウォッチ」「②冠婚葬祭におけるスマートウォッチ」「③ファッションとしてのスマートウォッチ」の3つのシーンになる。実際にそれぞれどんな使い方をされているかも併せて解説していこう。