※本稿は、田口力『世界基準の「部下の育て方」』(KADOKAWA)を再編集したものです。
「研修」や「講話」では不十分だ
部下の育成法にはさまざまな手段がありますが、大きく分ければ、仕事を通じた育成(OJT)と、社内外の研修などのOff-JTがあるのはご承知の通りです。
仕事を通じた育成法であるOJTには、「挑戦的な仕事を与えること」や「コーチング」「フィードバック」「権限委譲」などさまざまな手段があります。
その中で意外と忘れられがちなのが、上司が部下に何かを教える「ティーチング」という手法です。
もちろん、どの会社でも新入社員教育や技術的な教育などにおいては、先輩社員や上司、エキスパートたちが研修の場で「教える」ということを行っています。また、経営幹部が管理職研修などに招かれて講話を行う機会も設けられています。
こうしたことは大変素晴らしいことなのですが、世界基準に照らし合わせた「教える」という観点からは不十分です。
コーチングに「逃げて」はいけない
特に日本企業では、欧米企業で定着したコーチングがなかなか根付かないため、管理職層にコーチングの研修を繰り返し行って徹底しようとしており、その結果ますます「教える」ことへの関心が薄れているようです。
さらに困ったことには、「コーチングでは相手に対して質問を繰り返し、相手に考えさせて、自ら答えを導き出させよ」というコーチングの趣旨を、部下に対する接し方全般に適用してしまい、“教える”べきときにも“コーチング”してしまうという問題が起こっています。
コーチングも大切ですが、ティーチングも大切です。
コーチングすべきときにティーチングしてしまうことはコーチングの効果を台無しにしますが、ティーチングすべきときにコーチングしても意味がありません。誰にでも、他者に対して、特に部下に対してであれはなおさらのこと、「教えられること」があるはずです。
それは技術的なことだけでなく、自分なりの物事の見方や考え方、あるいは自分の経験から得られた教訓(人生訓)、成功や失敗からつくりあげた自分なりの法則など、必ず何かあるはずです。
そうしたことを部下に話すと説教みたいだと思われはしないか、自慢話をしていると受け取られはしないかと危惧する気持ちは理解できます。しかし、一度よく考えてみてください。部下たちから偉そうだと思われたくないということを、教える機会をつくらない言い訳にしていませんか。