自殺者が0なら、死ぬことを前提にする話はしなくてもいいだろう。しかし自殺者は0にはならない。そうであれば自殺者が出ることを前提に対応策を講じることが必要だ。

他人を犠牲にすることは絶対にあってはならない。他人を殺すことは、自分が死のうが死ぬまいが絶対にやってはいけない。他人を犠牲にしないということが絶対的な第1順位だとすれば、それを守るためには自分1人で死んでもらう場合もある。

これは他人を犠牲にしてはいけないということを、どれだけ強く想うかにかかっている。

特に、このような事件の被害者のご遺族に直接会った経験があるかどうかが左右するだろう。

僕は、ある。

自殺に思い悩む人を助けようとするカウンセラーの人たちには敬意を表するが、しかし彼ら彼女らは、何の罪もない子供の命を奪われたご遺族がどんなに苦しい思いをしているかを実際に見たことはあるだろうか。まだ人生がたっぷり残っている状態で命を絶たれた子供の無念さをどれだけ感じているのだろうか。

それはそれは、言葉で言い表せないほど、辛く、苦しく、無念だ。これらに比べれば、自殺に思い悩んでいる状態の方がまだましだ。

自殺に思い悩んでいる人を支援することは大切だ。しかし、自殺者を出さないようにすべきだと当たり前のことを叫ぶ人に限って、他者に不条理に命を奪われた者のご遺族と会った経験もないことがほとんだ。テレビで偉そうにきれいごとを喋っているコメンテーターも、そのようなご遺族に会ったことはないだろう。一度でもそのようなご遺族と会うことがあれば、社会の第1順位として、他人を犠牲にしてはならないということの絶対性を理解することができるだろう。

たとえば、自殺するにも、高所から飛び降りることがどれだけ他人を犠牲にする危険があるのか、そういうことを知らずに飛び降りをしてしまう者もいるだろう。自宅に放火して自殺したという事例もある。

年間2万人ほどの自殺者が存在する現実を前にして、このようなことは絶対に避けなければならない。自殺者を救うという視点のみならず、他人を犠牲にしてはならないという視点からも、飛び降りや自宅放火が絶対にダメなことはしっかりと教えるべきだ。

(略)