その一つが、近藤さんのキャラクターだ。舞台はアメリカの一軒家。家のなかはひどく散らかっており、そこに住む人たちは常にイライラしている。そんな殺伐とした場に、満面の笑みをたたえた近藤さんが「ハロー!」といいながら現れる。いつもふんわりとしたスカートを身にまとい、大きな収納箱をいくつも抱えている。

近藤さんはとても小柄だ。大きなアメリカ人と並ぶと、その小柄さがいっそう際立つ。そんな近藤さんがつぶらな瞳をしばたたかせながらニコニコ笑っている様子は、まるでジブリに出てくるアニメのキャラクターか、不意に現れた妖精のようである。

「こんまりメソッド」のキモには、物を「ときめくかどうか」で判断し、心がときめかない物は減らしていくという理念がある。この「ときめき」は「Spark Joy」と英訳されバズワードになっているが、こうしたキラキラ感が近藤さんの“妖精っぽさ”に拍車をかけ、そのキャラクター性が人気を呼んでいるのではないか。

自らを責める「片付けられない人」の救いに

もちろん、社会現象にまで発展したヒットの主軸には、「こんまりメソッド」の独自性がある。「ときめき」をはじめ、近藤さんの片付け思想には数々の独自のメソッドがあるが、その根幹には神道に根差した精神世界を垣間見ることができる。実際に『人生がときめく片づけの魔法』を読んでみると、片付けを「物と対話する作業」と位置づけ、物を擬人化するような表現が多い。

オフシーズンの服に対して、次の季節に「また会いたいか」どうかを考える。押し入れにしまいっ放しの物はすべて「寝ている」。家にある物はその「おうちの子」。新品のタグを取る作業は「『へその緒』をパチンと切ってあげる儀式」。物に精神性を求めるこのような発想は、八百万(やおよろず)の神の世界観に極めて近いものがあり、片付けを理論的な作業として捉える外国人にとっては新鮮なものだったにちがいない。またそうした哲学は、物を捨てられない、片付けられないことに悩み苦しみ、自らを責める人々の救いにもなっている。

愛着があるから捨てられないという人のリアルな心情を否定せず、それにどこまでも寄り添っていく。そんな近藤さんの懐の深さが、依頼者や視聴者の心を動かしている。もし「こんまりメソッド」がたんなる大量消費社会へのアンチテーゼにとどまっていれば、断捨離やミニマリズムの“妖精版”といった程度の評価で、これほど話題にはならなかったのではないか。