「いいものを、安く」の先は、不毛な価格競争だった

最近、たくさんのものに囲まれた暮らしに対して、疲弊しはじめたという声も聞くようになった。「買う」という行為は、人をハイにしてくれる。「ほしいものが手に入った」だけではなく、「他より安く手に入った」「お得感がある」「他の人と差別化できる」「とりあえず在庫を確保して安心する」など、理由はいろいろとある。

だが、家に帰ってその蓄積と向き合うと、「なぜこんなに買ってしまったのだろう」と罪悪感が募り、捨てきれずにあふれたものを前に、げんなりする。そんな経験を持つ人は少なくないだろう。

いいものを、安く。それが、これまでの賢い消費者だった。

だが、その先にあったのは、不毛な価格競争だ。同じ品質で、同じ技術で作られる製品の価格を下げるには、働く人の賃金を削っていくしかない。同じ国内での競争が一定の水準に達すれば、次はより賃金の安い国へと発注される。ある国では仕事が失われ、別の国では過酷な労働環境に耐えながら働き続ける人たちがいる。

地球環境への負荷も大きい。資源には限りがあり、いつまでも潤沢に使えるわけではない。また、大量に捨てられるものをどう処理し、コストをどう負担するかも大きな問題だ。こうしたことから目を背けていれば、そのまま、私たち自身の住環境や、健康問題として跳ね返ってくる可能性がある。

「不買は幸福をもたらさない」

いま、世界中でグローバル化に「NO!」を突きつける人が増えているのは、経済が発展し、ものが売れて数字の上は「豊か」になったといわれていても、暮らしの中で実感できなくなり、こうしたシステムを続けていくことの限界を肌で感じているからだろう。

では、消費者として、私たちはどうしていけばいいのだろう。「買わない」という選択をすれば、それで解決するのだろうか。

バングラデシュのアパレル産業とそこで働く女性について詳しい茨城大学人文社会科学部の長田華子准教授は、「不買は幸福をもたらさない」と訴える。たしかに、バングラデシュの縫製工場には多くの問題がある。だが、だからといって私たちがそこで作られた服を買うことをやめてしまえば、彼女たちの労働環境が改善するどころか、工場への注文が減り、彼女たちの給与が下がるだけでなく、最悪の場合は仕事を失ってしまう可能性もあるからだ。

「私たちに問われているのは、これまで990円で売られていたジーンズの価格を、5円でもいいから値上げすることを受け入れられるかどうかなのです」

その5円を、現地の人たちの給与や労働環境の改善に使うよう、企業に対して声をあげていくことも、もちろん必要だ。