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2015年の「失敗」に学び、戦略・戦術を練り上げた大阪維新
今から約1年半前の2017年11月、大阪市内、心斎橋の東側の長堀というところにある大阪維新の会本部5階の会議室。各自の業務が終わった18時30分に、大阪維新の会の中堅・若手の府議・市議9名が集まった。その中心に吉村洋文がいた。4月7日の大阪ダブル・クロス選挙で大阪府知事に就任し、いまや大阪維新の会のニューリーダーとなった吉村は、当時大阪市長として3年目が始まるところだった。
「あの住民投票の失敗を繰り返さない。徹底的にリサーチを行って、戦略・戦術をしっかり練ろう。そして組織をあげて実行していこう」
吉村は、目の前の窓の奥に見える、なんの変哲もないオフィスビルの窓灯りを見つめながら、2015年5月17日の光景を思い出していた。ここに集まった9名の府議・市議も各自、同じ光景を思い出していた。そう、あの日、泣きじゃくったことを。
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2015年5月17日。大阪都構想の是非を問う住民投票の投開票日。大阪維新の会のメンバーは午後8時までの最後の住民投票運動を終えて、続々と記者会見会場の大阪・中之島にあるリーガロイヤルホテル大阪に集まってきた。
大宴会場にはテレビカメラがぎっしりと並べられ、100席以上の報道陣の席が埋まりつつある。周囲の中宴会場では大阪維新の会のメンバーやボランティア、そして日本維新の会の国会議員や大阪以外の地方議員メンバーが、開票状況を固唾をのんで見守っている。NHKやその他のメディアはリアルタイムに開票状況を速報している。
「なんとか最後追い上げて勝てたな」
「よかった、よかった」
「これで野党の主導権を取れるぞ」
住民投票運動にあまり深く携わっていない者に限って、都構想可決を楽観視していた。特に、日本維新の会の大阪以外の国会議員たちがそうだった。彼らは永田町の作法に則り、メディアから各情報を入手し、その情報交換に勤しんでいた。メディアからいち早く情報を入手することが国会議員のステイタスを決めるらしい。