「フランス料理って、こんなに自由だったんだ」

「ボキューズ・ドール2019」の様子

結果的に、8年間勤務した「シェ・イノ」を退社し、髙山氏は単身フランスへわたることになる。知り合いのツテをたどり、パリの3つ星レストランの「ラムロワーズ」「レジス・エ・ジャックマルコン」「ジル」の名だたる名店で修行を積んだ。フランスでの日々は、壁に直面していた髙山氏を羽化させた。休日には地方に足を運び、ガストロノミーだけではなく、町のビストロ料理店や大衆食堂にも足繁く通ったという。

「フランスの料理人たちは、一つの皿にいかに個性を出すかに腐心していました。それは、町のビストロ料理屋さんも同じです。フランス料理は、芸術作品と同じで、自分をどう表現するかということに価値があるということを再認識しました。フランス料理とは、こんなに自由なものだったんだ、と。私が感銘を受けたのは、これまで積み重ねてきた伝統を継承しリスペクトしながらも、新しいかたちを料理人たちが常に追い求めていたこと。国民性もあるでしょうが彼らの料理には、一皿にかけるこだわりや、一瞬のひらめきやアイデアが詰まっていたんです」

フランス滞在が1年を超えたことを境に、花形である肉部門のシェフを任されるようになっていた。この頃から、髙山氏は技術に対する自信を深める一方で、自身の課題も明確になっていく。

突破口は日本文化の探求

「技術や質でいえば、日本のフランス料理は世界的にもトップレベルといえると思います。ただ、オリジナリティでいえば他国に負けている。自分に足りないものも“感性”だと気づいた。お客様を感動させるようなスペシャリティを提供するにはどうすれば良いのか、と自問自答しました。もっといえば、日本人の料理人がフランス料理でトップを目指すにはどうすれば良いのか、と」

「結果的に、フランス人がそうであるように、日本人だからできる和食のテクニックや素材をフランス料理に落とし込むことが、独自の表現につながるという結論に至ったんです。割烹、懐石、居酒屋も『切って、煮て、提供する』という基本はおなじ。それをフランス料理に取り入れるとどうなるか。日本の文化を突き詰めることで、私自身を表現したいと考えました。具体的には食材の素材を大切にし、海、山に恵まれた日本の地方ごとのテロワールを活かすこと。そこに日本人ならではの、繊細で細部にとどく感性で“作品”を作り上げるということです」

07年に帰国し、フランスの「ジル」の日本初店舗となる「メゾン・ド・ジル芦屋」の料理長に就任の打診を受けた。和食とフランス料理の融合を目指す髙山氏にとって、格好の環境だった。

7年間かけて自身の表現に磨きをかけ、ボキューズ・ドールの日本予選、アジア大会を優勝し、15年の本戦へと挑戦する。初出場で5位という快挙を達成し、フランスで深め、日本で実戦した自信は確信に変わっていた。翌16年には、「メゾン・ド・タカ芦屋」を総合プロデュースする傍ら、再挑戦への準備も着々と進めた。