5月1日、令和への改元と同時に今上天皇は退位し上皇(太上天皇)となる。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「歴史上の上皇は仏教に帰依し、出家するケースが多かった。天皇家(あるいは元号)と仏教とは切っても切れない関係性にあり、江戸時代までその慣習は続いた。むしろ、政府が神仏分離政策を推し進めた明治以降、現在までの天皇家のありようのほうが“特殊な状態”と言える」という――。

5月1日、令和への改元で今上天皇は「上皇」となる

新元号「令和」が発表された。

新元号「令和」を発表=2019年4月2日(写真=アフロ)

テレビ・新聞での識者のコメントや、ネット評価はおおむね、良好のようである。「Yahoo! ニュース(みんなの意見)」では元号発表後、丸1日が経過した4月2日午前11時半の段階で「いいと思う」と回答した割合が64%。逆に「あまりいいと思わない」が28%。「わからない/どちらとも言えない」が8%であった(投票総数約21万2000票)。

実は私は、「平成」が発表された翌日の朝日新聞(1989年1月8日朝刊)を取り置いている。当時、中学生だった私は、重大ニュースの新聞を収集する癖があった。

平成が決まった直後の号外と、翌日の朝日新聞。撮影=鵜飼秀徳

社会面を開けると、「新元号こう思う」という見出しがある。そこでは各界の著名人が、「平成」について感想を述べている。ざっと読んでいくと、批判的な意見の識者が多いようであった。興味深いので少し紹介しよう。

「令和」のネット評価は良好だが「平成」は散々だった

「平成の典拠のうち、私なら、『内平らかに外成る』の史記より、『地平らかに天成る』の書経の方を取りたい。軍縮を実現して、まず地球に平和を」(作家・小松左京氏)

「音の響きとしては、雄大さや鋭さに欠ける。鼻が低い、という感じだね。平和の願いも込めたいが、昭和に『和』が使われており、仕方なく『平』の字から文献を探しんじゃないかな」(国語学会評議員・大野晋氏)

「明治、大正、昭和に比べてえらい古風な感じですな。ことさら世の中を平らにせないかんという意識が過剰では」(落語家・露の五郎氏)

「ぼく自身はほとんど西暦しか使っていないので、どうでもいいという感じです。元号にあまりとらわれていると、徳川家康がシェイクスピアと同じ年に死んだなんて感覚が、いつまでも身につかないんじゃないですか」(編集者・天野祐吉氏)

「最初はぴんとこなかったのですが、字をよくみると、今の世の中のデコボコをなくするような気もしていいんじゃないですか。仕事に直接影響はないと思います」(演歌歌手・坂本冬美氏)

「ゆっくり発音しないと『へえせえ』と言ってしまうのが少し気がかりだが、大した問題ではないでしょう」(日本かな書道会顧問・宮本顕一氏)

各人、なかなか自由な発言で、いい感じにひねくれている。コメントを採用する側の新聞社も今以上に踏み込んだ紙面づくりをしていたようだ。

さておき、本題に入ろう。

今回は、仏教と元号、仏教と天皇との関係性について述べたい。