見知らぬ青年が死を思い留まらせてくれた

ただ、これまで取り上げてくれたメディアの多くは、私の発言をおもしろおかしく切り取るだけで、すべての思いを伝えてくれる媒体はほとんどなかった。先日も、話を聞くというから取材を受けたのに、ひたすら犬の散歩をするシーンだけを撮影されるなんてこともあった。

命をかけて守ってきたアマチュアボクシング界から追い出され、私は一瞬、死を覚悟したこともあった。その時、私を思い留まらせてくれたのは、見ず知らずの青年だった。

「山根会長! 応援してますよ! 負けんでください!」

そのひと声で我を取り戻し、私は今、ここにいる。あのまま、もし死んでしまっていたら、「真実」をお話することはできなかった。苦労をかけてきた妻と、テレビに出ている自分を見ながら笑い合うこともできなかった。80歳になる年を、まさか、こんなに穏やかに迎えることができるなんて、あの時の自分には想像もできなかったのだ。

あの青年だけではなく、大阪には見ず知らずの私を応援してくれる人がいる。街中で話しかけられるたびに、いつも嬉しさで涙が溢れそうだ。私は今、ボクシングではなく、そんな名も知らぬ人たちに生かされている。

1954年、ボクシングの試合をする山根氏。右下のカコミは当日客席にいた力道山(画像提供=著者)

いまだ腑に落ちない「使途不明金」

一方で、いまだに、まったくもって腑に落ちないのは「連盟の使途不明金」問題だ。

大きな決定ごとは私に委ねられていることが多かった分、小さな日常ごとはすっかり下の人たちに任せ切っていた。経理面については特に、信頼できる理事2人が担当していて、一人は有名な弁護士でもあった。その彼が信頼して頼んだ税理士さんに入ってもらっていたし、何か問題が起きるとは、私には思えなかった。実際、告発が起きてすぐ、私は経理担当者に確認した。

「使途不明金って、どういうことやの? 何か問題があるの?」
「いやいや、税理士さんとやってますから、大丈夫ですよ。会長は心配しないでください」

そう言われて、私は安心していた。

「おもてなしリスト」なるものについても、似たようなものだ。いつだって、連盟の理事たちが先に動いてくれていた。私が言うのもおかしいが、彼らの“忖度”によって生まれたものとしか説明のしようがない。