2018年8月、助成金不正流用などの責任を取って、山根明氏が日本ボクシング連盟会長を辞任した。この辞任騒動では、山根氏の強烈なキャラクターが注目を集めた。山根氏は当時を「気がつけば“もう一人の私”が作り上げられ、本物の私は裸の王様のように、踊らされてしまっていたのかもしれない」とふりかえる――。

※本稿は、山根明『男 山根「無冠の帝王」半生記』(双葉社)の一部を再編集したものです。

1日が何カ月にも何年にも感じられた

平成30年(2018年)8月。

80年近くを生きてきて、あれほど蒸し暑く、寝苦しい日が続いた夏は、これまで経験したことがなかった。まだ半年前のこととは思えないほど、1日が何カ月分にも、何年分にも感じられる毎日を過ごした。

山根明氏(『男 山根「無冠の帝王」半生記』より/撮影=高田遼)

ご覧いただいた方もおられるかもしれないが、あの騒動が起きてから、私は取材を受けるたびに「ボクシングに命をかけてきた」と発言してきた。中には「何を大げさなことを言ってるんだ」と、呆れた方もいるだろう。しかし私は確かに、自らの“命”を張って、日本のアマチュアボクシング界の“盾”となってきたつもりだ。

試合を中断させて1時間の抗議

平成10年(1998年)にタイ・バンコクで行われたアジア競技大会、通称キングス・カップに日本代表選手団の監督として引率した時のことだ。村橋薫選手(ライトフライ級/当時、法政大学所属)の試合の判定をめぐって抗議し、背後から銃で撃たれたことがある。村橋選手はその銃声に気づいていないようだったし、幸いにも銃弾が命中することはなかった。しかし、その殺意は間違いなく、私に向けられたものだとわかった。

村橋選手の相手は、タイの選手だった。1ラウンド終了のゴングが鳴り、レフリーが試合を止めに入った瞬間、相手選手が村橋選手にパンチを出し、KOになった。

当然、ゴング後のパンチでKOなど、納得できるはずがない。私はすぐさまリングに上がり、試合を中断させて1時間にわたって抗議した。

「なんや、今のは! ゴングが鳴ったあとにパンチを出しとるやないか! 反則だろう! ふざけるな、こらあ!」

そもそも私は、頭に血が上りやすい質だ。20年も前のことだから、当時は今よりも、もっと血の気が多かったと思う。日本語で荒々しい暴言もたくさん吐いた気がするし、今にも乱闘になりかねない状況だったことは鮮明に覚えている。結果、判定は覆った。私の主張が認められ、タイの選手が反則負けとなったのだ。