自己肯定感を守るための考え方
今でこそ名優の名をほしいままにしているロバート・デ・ニーロですが、彼自身、1973年のマーティン・スコセッシ監督『ミーン・ストリート』で注目を浴びるまで、苦労の下積み時代を送りました。仕事を得るため端役のオーディションまで数多く受けるも、不採用の通知を受けることもしばしば。彼がニューヨーク大学芸術学部で卒業生たちを前に語った言葉は、自身の経験から見いだされた「自己肯定感を守るための必然的な考え方」だったのでしょう。
デ・ニーロは、「そういうものなんです」と言い、卒業式に集った聴衆をなごませたそうです。
生前不遇だったゴッホの“気の持ち方”
周囲からの「拒絶」「否定」というキーワードで著名人を連想したとき、日本でも人気の高い“炎の画家”フィンセント・ファン・ゴッホのエピソードについても紹介しておく必要があります。昨今伝わる通説では、「ゴッホの絵のうち、生前に売れたのは1枚だけだった」とされていますが、これは真実ではないようです。
ゴッホ美術館主任研究員テオ・メーデンドーフ氏によると、ゴッホは生前、数枚の絵を売っていたことが研究により明らかになったそうです。つまり、「ゴッホは画家として完全に否定されていた」といったような説は誤りで、「多少なりとも彼の才能を評価していた人はいた」ということになります。
ただし、彼の画家人生がわずか10年足らずだったことも相まって、当時、画家としての彼を評価する人が多くなかったことは確かだったのでしょう。
とはいえ、彼は自分を取り巻く不遇な環境にもめげず、毎日、絵を描いていました。彼はよき理解者であった弟のテオに宛てた手紙に、毎日仕事をするのは午前7時から午後6時にかけてで、その間に動いたのは食べ物を取りにいったときだけだと記していたそうです。