ワガママなのに好かれる構造

能力やセンスなどの長所がある、から好かれるのではなく、逆に、短所があるから好かれる、と考えることはできまいか? 大野君は、何かが「ある」から、ではなく、何かが「ない」から好かれるのではないか?

人は何かしらが欠落し、欠点がある方が好かれやすい。それを隠さずに、他者へ見せることができると欠点が愛嬌に昇華される。そして好かれる。

女子から寄せられたコメントで、大野君の「ない」ものを見てみると、ぼんやりとそれが浮かび上がってくる。

いわく、大野君はワガママでマイペースだ。マネジャーの言いつけに背いて勝手に釣りに行って、一人だけ真っ黒に日焼けしている。高校をたった一日で辞めた。若手ジャニーズが自分を売り込む番組の出演を数回で辞めた。リーダーなのにまったくしゃべらないでボーッとしている。振り付けを考える時にスタジオでメンバーを待たせてあぐらをかいて一人で考える。そして極めつけは、いきなり嵐の活動を休止したい、と言い出す……などなど。

そうか。大野君は、ワガママなのか。しかし、それは愛嬌にもつながるけれど、一歩間違うと相当嫌われるぞ。

にもかかわらず、大野君はやっぱり好かれている。ワガママなのに好かれる、ってなぜだ? 「ない」から好かれるって、どういうことだろう?

“ワガママ”ではなく“あるがまま”を許す大野君

こういうことかな、と僕は思い当たった。

大野君は“ワガママ”ではなく“あるがまま”なのかな、と。

完璧な人間は世界中に一人もいない。誰だって欠点がある。その欠点を隠したり、いい人のふりをすると、他者から嘘っぽく、不自然に見られる。そういう人は好かれない。

逆に、欠点のある不完全な自分を自分で認め、そのまま他者にさらけ出せる人は好かれやすい。

人は相手が不完全であることを知るとホッとする。相手の劣等を知ると自分が優越を感じる、という面があるからだ。

しかし、それだけではない。不完全な相手を見ることで、まるで、自分もまた、不完全であることを許されたように感じるからだ。

僕には、大野君がこんな風に言っているように聞こえるのだ。

「僕は欠点もある不完全な人間。だけど、それでいいじゃない。僕が僕らしくあってもいいよね」
「だから、君も欠点があってもそのままで、ありのままでいいよ。君も君らしくいてね」

そんな声が聞こえてきそうなのだ。