不自由な右手に感謝のキスを
仕事、いやもっと言ってしまえば、僕の人生は自分との戦いの連続だと思ってるよ。
何度も言うけど、僕はね、負けず嫌いなんだ。
挫折した瞬間、普通の人たちと同じように、いやそれ以上に「うまくなってやる」って気持ちがメラメラと燃え上がる。
包丁を研ぐのだって、最初はできなかった。何度も練習してできるようになった。レバーの入った袋は両手で押さえて、口を使って開ける。このやり方だってコツをつかむのにしばらくかかった。
人から「できない」って言われると、こんちくしょうって燃え上がるんだ。この手だったからこそ、僕はここまで来れたんだ、今じゃそう思えるようになってきた。この手にキスしてやるかな。
昔から歴史小説が好きだった。美濃のマムシ売りから身を立てた斎藤道三はすごいなって思った。でも、一番好きだったのは信長だったね。
「鳴かぬなら、殺してしまえ」
若いうちはそのあり方がかっこ良く思えたんだね。自分もそうなりたいと思った。誰にも媚を売らない、その心意気で仕事をしていたのかもしれない。「ほら、僕のとこの肉はうまいだろう」って。
僕の出すもんが気に入らない奴は来なくていいとさえ思っていた。人間は誰しも、若い頃は自分が一番だと思うもんなんだ。
今は「信長」より「家康」の心境
うちで出す肉の味がわからない奴はバカだと思っていたし、突っ張ってたんだろう。まあ、若いうちは、それくらいの威勢があったほうがいいよ。でも、年を重ねることで人間は変わる。心持ちが変わっていったのは50代からだね。
うちの焼肉を食っても、うんともすんとも言わないお客がいたとする。だったら「うまいと言わせてみせよう」って思えるようになっていったんだ。
まずは、どうしたらおいしいと思ってもらえるだろうかを考える。そして、次に工夫をする。つまり頭を使う。どうすればいいか徹底的に頭を悩ませる。
つまり、「殺してしまえ」から「鳴かせてみせよう」の心境に変化したんだ。そして、そっちのほうが楽しいってこともわかってしまった。
東日本大震災以前に繁盛していたときは、もしかするとおごりがあったかもしれない。でも、今はそれが全くなくなったね。いつ客がまた少なくなるかなんて、誰にもわからない。それにはたゆまぬ努力が必要だって、そういう謙虚な気持ちでいる。
ありがたいことに、焼き肉で日本一に選んでもらった。相撲の横綱ならその位置に留まり続けるか、引退かのどちらかしかない。僕はね、まだまだ横綱でい続けたい、そう思っているよ。
スタミナ苑
1958年、東京都生まれ。兄の久博さんが母親とはじめた「スタミナ苑」に15歳で加わり、肉修行をスタート。以来、ホルモン一筋45年。1999年アメリカ生まれのグルメガイド『ザガットサーベイ』日本版で、総合1位を獲得。2018年『食べログアワード2018ゴールド』受賞。著書に『行列日本一 スタミナ苑の繁盛哲学 うまいだけじゃない、売れ続けるための仕事の流儀』(ワニブックス)。