今の世代が為すべきことを打ち出せる政治家がいない

アメリカではレーガン政権のときに、年金債務から逃れるために自己責任で年金を運用させる401k(確定拠出年金)という仕掛けをつくった。日本はこの儀式をまだ済ませていないが、どこかで年金債務をギブアップすることも選択肢の一つになってくるだろう。

銀行関係者から聞いた話だが、年金の受取口座を別につくって、年金をもらい始めてから一度もその口座に手を付けていない人が結構多いそうだ。年金の3割を貯金に回している人もいるくらいだからカットする余地もあるのだが、日本ではそうした議論はタブー視される。

しかし、「贅肉」にメスを入れないことには、日本の財政はまともにはならない。繰り返して言うが、先細りしていく将来世代にツケを回して今日の繁栄を享受するのは、現役世代の犯罪である。それをやめさせるのが政治の役割なのに、政治家は揃って口を閉ざしている。今の世代が為すべきことを政策として打ち出せる政治家が日本には一人としていない。

大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいない

「平成」が幕を閉じようとしている。

私が「平成維新」を旗印に掲げて日本の改革を世に訴えたのは平成がスタートしてまもなくのことだった。理念と政策をまとめた『平成維新』という本を出版したのは平成元年(1989年)。本当は昭和のうちに書き上げていたが、「○○維新」とタイトルを空欄にしておいて、新しい年号が決まるのを待って出版した。

道州制、ゼロベースの憲法改正、移民政策、容積率の緩和など、私の政策提言のすべてはこの本から始まっている。2005年には日本人の平均年齢が50歳を超える。2005年までに改革を断行しなければ、この国は変われない国になってしまう。平成維新の必要性をそう訴えた。

あれから30年が経過した。2005年はとうに過ぎ去り、平成が終わろうとしているのに、私が平成維新から唱え続けてきた政策提言はほとんど何も実現していない。ということは、平成の30年間、私は空論を振り回していただけということになる。大前研一ぐらい平成をむなしく過ごした日本人はいないのではなかろうか。

むなしい空論になってしまった最大の理由は、選挙制度が変わったことだ。