目障りな存在だった、カショギ氏

トルコのイスタンブールにあるサウジアラビアの総領事館でサウジアラビア人記者のジャマル・カショギ氏が殺害された事件。真相が明らかになるにつれて、サウジ、トルコ、アメリカという関係国の政治的な思惑や利害関係が炙り出されてきたように感じる。

サウジで開催された投資会議「未来投資イニシアチブ」に出席するムハンマド皇太子(2018年10月24日)。(AFLO=写真)

そもそも殺されたカショギ氏とはいかなる人物だったのか。カショギ氏はトルコ系のサウジの名家の生まれで、王族や政府内にも知己が多かったという。政府系メディアで仕事をしたり、王室の顧問職を歴任したりするなど、もともとは体制に近しい立場の人物だったようだ。ところが、2017年6月にムハンマド・ビン・サルマン王子が皇太子に昇格して実質的な最高権力者の座に就くと、その3カ月後の9月にサウジを脱出して事実上アメリカに亡命、反体制派のジャーナリストとして、「ワシントンポスト」紙などにムハンマド皇太子に関するネガティブ情報を発信し続けてきた。

ムハンマド皇太子といえば、高齢で認知症を患っているといわれる実父のサルマン国王に代わって内政や外交を掌握し、女性解放や脱石油依存などを訴えてサウジの経済改革、近代化を推し進めてきた若きリーダーだ。しかし「改革者」の仮面の下に見え隠れするのは強権的な独裁者の顔で、自分の意に沿わない反対派の王族や宗教指導者、活動家などを弾圧、排除してきた。行方不明になっているジャーナリストや国外に避難している皇族も少なくないという。カショギ氏がサウジを離れた直後の17年11月には、汚職取り締まりの名目で王子や閣僚、大物実業家ら数百人を一斉に拘束してリヤドの高級ホテルに監禁した。その中には世界的な大富豪で投資家としても知られるアルワリード王子も含まれていて、(6800億円とも言われる)莫大な保釈金を支払って釈放されている。

このように資産を奪って他の王族の動きを封じ、言論統制や暴力によって恐怖支配を進めてきたムハンマド皇太子にとって、難を逃れて国外で自らを糾弾しているカショギ氏の存在は非常に目障りで不都合だったに違いない。あるいは王族に近しいカショギ氏が、ムハンマド王子の何らかのウイークポイント、王位継承を左右するような情報を握っていた可能性もある。

18年10月2日、婚姻手続きのためにカショギ氏はトルコ人の婚約者とともにイスタンブールのサウジ総領事館を訪れた。婚約者を外に残して領事館に入ったカショギ氏は、そのまま消息不明に。トルコ当局の捜査で、プライベートジェット2機に分乗してサウジからトルコに入り、カショギ氏の訪問時に領事館にいた実行犯グループ15人が特定されている。そこにはサウジの情報機関の人間や法医学者、ムハンマド皇太子の警護役の親衛隊メンバーも含まれていた。親衛隊のメンバーが主人の命令なしに勝手に動くはずがない。仮に側近が命じたとしても、トップの了承を得ていないとは考えにくい。

18年10月31日、トルコ検察は事件の詳細について初めて公式見解を示して、「カショギ氏殺害は計画的なものだった」と発表した。カショギ氏は入館直後に絞殺されて、遺体は切断して処分されたという。遺体はまだ見つかっていないが、酸で溶かして下水に流して処理したという見方が有力視されている。