【田原】おお、すごい。くしゃくしゃやってるから何かと思ったら、きれいなバラになった。器用だね。

オリィ研究所 代表 吉藤健太朗氏

【吉藤】奈良文化折紙会の会長をやっていました。社名に入っている「オリィ」も、折り紙のオリィです。

【田原】おもしろい。でも、それがどう学校に戻ることとつながるの?

【吉藤】ごめんなさい。そうでしたね。中1のとき、折り紙ばかりやっている私を見て、母が近所の科学館のロボットコンテストに勝手に申し込みました。「あなた、折り紙折れるんだから、ロボットもつくれるでしょ」と。ロボットで迷路を解くコンテストでしたが、半ば強引に参加させられて、まさかの優勝です。

【田原】どうして優勝できたの? 初参加でしょう。

【吉藤】じつは私以外が全員ゴールできないという奇跡の優勝でした(笑)。ただ、その大会は予選。中2のときに大阪で全国大会があって、そこにはプログラミングを一生懸命勉強して臨みました。そこで準優勝したんです。

【田原】準優勝でもすごい。自信がついたでしょう?

【吉藤】頑張ったことが報われた喜びはありましたが、悔しさもありました。優勝するとコーラ1年分をもらえたのですが……。

【田原】それでどうなった?

【吉藤】大会ではロボットの展示も行われていました。私が注目したのは、一輪車に乗るロボット。それをつくったのは、“生駒のエジソン”と呼ばれる王寺工業高校の久保田憲司先生でした。ロボットに興味を待ち始めていた私は、「この人を“師匠”にすれば自分もこんなロボットをつくれるんじゃないか」と思って、受験のために学校に戻ったわけです。

【田原】王寺工業高校に合格して、無事に弟子入りできたの?

【吉藤】はい、そこから3年間、師匠の下でロボットづくりを学びました。

【田原】実際につくったのは、電動車いすだそうですね。

【吉藤】3年生が卒業研究でロボットを積んで走る車をつくったのですが、そのプロジェクトに入らせてもらって、モビリティはおもしろいなと。私は昔から車いすに興味があったので、次は電動車いすだと。