安倍首相は件の東方経済フォーラムでこう演説している。

「プーチン大統領、もう1度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうじゃないですか。今やらないでいつやるのか、我々がやらないで誰がやるのか……。平和条約締結に向かう私たちの歩みに皆様のご支援をいただきたいと思います」

このスピーチを受けてのプーチン提案だった。私は安倍首相の経済政策や友達優先の仕事の進め方は嫌いだが、この問題に関してはよく理解しているし、解決できるのは安倍首相しかいないと思う。“思いつき”のプーチン提案に驚くでもなく、ムキに反発するでもなく、無言で受け流したのは正解、というよりシナリオ通りだったに違いない。

ダレスの恫喝で、四島一括返還を主張し始めた

本連載で以前にも指摘したように、日露間の領土問題が動かなくなってしまった元凶は「ダレスの恫喝」にある。ダレスの恫喝とは1956年8月に日本の重光葵外相と米国務長官のジョン・フォスター・ダレスが会談した際の出来事。ダレスは沖縄返還の条件として「北方四島の一括返還」をソ連に求めるように重光に迫った。東西冷戦下で、領土問題が進展して日ソが接近することをアメリカは強く警戒していたのだ。日ソの国交回復は56年10月に調印された日ソ共同宣言でなされる。共同宣言には日ソが引き続き平和条約の締結交渉を行い、条約締結後に歯舞、色丹の二島を引き渡すと明記されている。しかし当時、「ダレスの恫喝」によって日本政府は「四島一括返還」を急遽主張し始めたために、平和条約の締結交渉は頓挫して、領土問題も積み残された。

「前提条件なしに平和条約を結ぶ。その後、争いのある問題は友人として解決する」というプーチン大統領の提案は、日ソ共同宣言のスタンスに基づいている。実際、00年に来日したプーチン大統領は「56年宣言(日ソ共同宣言)は有効」と語っている。16年に来日した際には首脳会談後の記者会見で、わざわざ「ダレスの恫喝」にまで言及した。プーチン大統領と安倍首相は幾度となく会談を重ねる中で、こうした歴史認識を共有したと思われる。「ダレスの恫喝」がロシア側の一方的な認識であれば、トップ同士で合意を得た首脳会談の後に持ち出すわけがない。

日露のボタンの掛け違いは「ダレスの恫喝」というアメリカの横槍で生じた。ならばもう1度、56年宣言に立ち返って、平和条約の締結から始めよう。条約締結後に領土問題を解決しようというプーチン提案を安倍首相はどこかの段階で受け入れると私は思う。領土問題を解決して国境線を画定してから、平和条約を結ぶという従来のアプローチでは、日露関係は何一つ動かない。これを動かすためには、アプローチを変えて先に平和条約を持ってくるしかない。そのことを安倍首相は十二分に理解しているはずだ。しかし平和条約を先行すれば、結果として北方領土問題は棚上げになる。当然、世論の反発が予想されるが、これを乗り越えるためには日本政府と外務省は国民に1度頭を下げて詫びなければいけないと思う。なぜなら「北方領土はわが国固有の領土」などとナショナリズムを煽る誤ったプロパガンダで国民世論を先導してきたからだ。