被告人に血の通った生きた言葉をしゃべらせるための弁論

判決は求刑通りの1年に、3年間の執行猶予がついた。弁護人が頑張らなくても結果は同じだろうが、被告人が前向きな気持ちで判決を聞いたことは、再犯防止の効果が大きいだろう。裁判長の評価も高かったはずだ。弁護人が拘置所に通い、被告人と気持ちを通じ合わせたことは、すべてこのためだったのだ。

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この若い弁護人は、金にならず、やりがいもないため、大御所が見向きもしないような事件でも、経験を積むために国選弁護人を引き受けたのだろう。

仕事の少ない若手ががんばるのは当たり前の話だ。地味な仕事に手を抜かないのは立派だが、やろうと思えば誰でもできる。社会人が求められるのは結果であって、失敗したけど努力したから許されるのは、心優しい上司や同僚に恵まれた人だけだろう。

筆者がこの弁護人を見ていて感心したのは、たいした役割を与えられず、目立った活躍はできないとわかったとき、それでも自分のためになる仕事をしようとしたように思えたからである。わかりきっている判決の軽減を狙うのではなく、弁護のテクニックを披露するのでもなく、被告人に生きた言葉をしゃべらせるための弁論を組み立てていた。

たまたま、この日は検察と裁判長がそれを認めて反応したが、うまくいかないこともあっただろう。でも、とうとううまくいった。成功経験は何よりの栄養となるので、次回以降の弁論にも活きてくる。

ビジネスシーンでも、似たようなことはあると思う。チャンスはいきなりやってはこない。簡単な仕事Aを与えられたとき、ただこなすのではなく、ひと味加えて仕上げる。と、それより少し難易度の高い仕事Bを命じられ、またひと味加える。いい意味で予想を裏切るのだ。

人の目は節穴じゃないので、誰かが気づく。評価はそうやって一歩ずつ高まり、ある地点に到達し、チャレンジングな仕事Cを成功させたとき固まるのではないか。

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