ITベンチャーの黎明期を支えた渋谷
東急にとって渋谷はホームグラウンドだ。それに加え、渋谷はわが国のIT企業の多くが黎明期を過ごした街だ。1990年代のなかばから2000年初め、渋谷にはサイバーエージェント、ディー・エヌ・エー(DeNA)といった、当時のITベンチャー企業が多く拠点を構え、“ビットバレー”と呼ばれた。その時期は、米国でITへの期待が高まり“ドットコム”と名のつく企業なら何でも株価が上昇すると言われたITバブル膨張の時期でもあった。
ITバブルの熱狂の中で、渋谷はわが国のIT企業のメッカとして注目を集めたともいえる。一時、渋谷にグーグルやアマゾンといった米国のIT企業が国内の事業拠点を置いたことも、「渋谷イコールIT企業の多い街」との見方を支えた。それが、若者ファッション情報などの発信地としての渋谷のイメージと融合し、多くの人を渋谷に引き付ける要素になったと考えられる。当たり前だが、その街を訪れる人が増えれば、街は活気づく。それは、企業の進出などを受けて消費や投資が喚起され、域内で生み出される付加価値が増大するということだ。
オフィス不足で六本木や五反田に企業が分散
しかし、2000年代前半頃からIT企業などが渋谷から六本木などに拠点を移し始めた。その大きな理由は、渋谷のオフィス事情だろう。他の地域に比べ渋谷のオフィス物件は小規模なものが多かった。企業の事業規模が拡大するにつれて、適正な規模のオフィスを構えることは自然なことである。宿泊施設が少ないことの影響もあるだろう。
加えて、近年は渋谷でのオフィス不足から賃料が高騰し、大企業は六本木や目黒に、スタートアップ企業は賃料の低い五反田周辺に拠点を移した。五反田ではフィンテック関連などのスタートアップ企業が連携して一般社団法人五反田バレー(五反田バレー)を設立した。五反田バレーは、わが国のユニコーン企業(企業の評価価値が10億ドル(1100億円程度)を上回る未上場のベンチャー企業)を生み出す拠点となることを目指している。