「STEM教育」「STEM人材」という言葉をご存じだろうか。Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字を取った造語で、この4分野を統合的に学ばせるのが「STEM教育」であり、これを兼ね備えた人材が「STEM人材」。AI技術者などはSTEM人材の最たるものだろう。アメリカや中国では「STEM」がマジックワードになっていて、STEM人材の熾烈な争奪戦が繰り広げられている。中国では海亀派はグローバル人材としてもてはやされてきた。ここへきて留学生の増加や景気減速の影響で以前ほど優遇されなくなってきたが、それでも最先端のSTEMを学んできた人材となれば話は別だ。企業の研究所や大学では高給のポストが用意され、起業のための支援体制も整えられている。

中国の大都市のほとんどには海亀派を迎え入れるための起業屋敷がある。帰国して中国本土で起業した者にはハイテク環境が整った事務所が無料あるいは超低額で貸し出されて、国や自治体から1000万円を超える助成金まで出る。ハイテク起業屋敷の周りにはベンチャーキャピタル(VC)やインキュベーター、弁護士事務所などが集まり、定期的にアイデアコンテストが開かれて出資者を集めては新規事業が立ち上がっていく。深セン、杭州、北京(中関村)、上海、珠海、中山、蘇州、温州、大連といった全国の大都市にそのようなエリアがあって、激しい人材獲得競争が行われているのだ。

日本政府は2020年にはAI人材を含むIT人材が30万人不足すると試算して、AI開発ができるIT人材を年間3万人規模で育成することが急務だという。しかし、そんなレベルでは年間48万人規模で世界中から海亀が戻ってくる中国に対抗しようもない。日中の格差は拡大するばかりだ。この5年で世界のハイテク業界図はすっかり塗り替えられた。自動車の電子化辺りまでは日本やドイツなども先頭集団に属していたが、AIやIoTの時代になってハイテク覇権の争いは完全に米中2カ国に絞られた。

兆しはあった。前述のように海外留学者の数でも科学技術関連の特許や論文数でも、中国の台頭は目覚ましい。すでに世界の留学生の4分の1を中国人留学生が占めるようになり、全米科学財団の発表によれば16年に発表された科学論文数で中国はついにアメリカを抜いて世界一になった。3位以下はインド、ドイツ、イギリスで、かつて世界2位にまでなった日本は6位に後退。日本の論文数は今や中国の約5分の1しかない。論文は単純な数だけではなく、どれだけ引用されたかという引用数で評価される部分が大きい。ノーベル賞の候補になるような論文は引用数が極めて多い。日本は論文数だけではなく、引用数も極端に減っている。これは英語で論文が書ける研究者が減っているという問題もある。その点、中国人の研究者の多くは欧米に留学するから、語学のハンディは完全になくなった。

英語のできるSTEM人材が何十万人もの規模で輩出されるのだから、人口大国の中国やインドは強い。ところがトランプ米大統領が移民抑制策として「H‐1Bビザ」という外国人向けの特殊技能職ビザの審査を厳格化したために、H‐1Bビザで働いてきた多くのインド人技術者がアメリカ国内にとどまれない状況になってしまった。インフォシスやタタ・コンサルタンシー・サービシズなどのインド企業にIT関連業務を委託してきたアメリカ企業のなかには、インド人技術者を自由に使えるカナダやインドにオペレーションを移すところも出てきている。米ハイテク産業の集積地であるシリコンバレーは、インド人や中国人など多くの外国人エンジニアによって支えられてきた。インド人技術者が締め出されれば深刻な人材不足が生じたり、あるいは中国人技術者の独壇場にもなりかねない。