苦しい時期を乗り越え、マッキンゼーに入社

【田原】苦しい時期を乗り越え、マッキンゼーに入社される。これは東京ですか。

【柴山】東京で入社して、1年は東京、3カ月はソウル、その後はニューヨークです。投資ファンドのサポートをしていました。

田原 総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】大きな仕事ができて、生活の不安もない。それなのに15年にマッキンゼーをお辞めになる。これはどうしてですか?

【柴山】いまの事業をやりたかったのです。私はそれまで自分で起業しようと思ったことはありませんでした。留学したINSEADは起業で有名なビジネススクールですが、私は金融の勉強をしていて、「起業家かぁ。世の中にはすごい人がいるな」と他人事のように見ていた。それでも社会課題を解決するには、自分で起業するしかないなと。

【田原】いまやっているのはウェルスナビ。資産運用のサービスですね。

【柴山】ウェルスナビをやろうと思った理由は2つあります。マッキンゼーでリスク管理のサポートをした後、10兆円をどうやって運用するのかというプロジェクトが立ち上がりました。そこで金融工学の専門家と一緒に資産運用のアルゴリズムを開発。アルゴリズムは数式なので、10兆円でも10万円でも同じ計算をします。ならば個人一人ひとりが金融市場と連結するシステムをつくれば、誰でも富裕層向けと同じレベルの資産運用ができると考えました。

【田原】でもね、日本人の多くは資産運用を本気で考えてないでしょう。だいたいみんな貯金して終わりです。

【柴山】そこがまさにもう1つの理由です。プロジェクトの最中に、シカゴに住む義理の両親のところに遊びに行きました。義理の両親から「ウォール街で機関投資家のサポートをするのもいいが、うちの資産も見てくれ」と頼まれて運用状況を見たら、なんと数億円をプライベートバンクで運用していました。義理の父は石油会社に勤めていた普通のサラリーマン。一方、日本の私の父も同じような経歴ですが、資産は10分の1。両親は退職金をもらって住宅ローンを完済して、まだ数千万円の資産があるのだから、日本なら恵まれているほうです。それでも預貯金と保険でしか資産運用していなかったから、アメリカのサラリーマン家庭とこんなに差がついた。この差を埋めるには、働く世代のための資産運用産業が必要だなと。そう思って起業を決意しました。

【田原】働く世代向けですか。若い人は、将来、国や会社が自分の面倒を見てくれないんじゃないかと疑っています。だとすると、資産運用のニーズは高い。

【柴山】危機意識は芽生えていると思います。私たちはリアルでも資産運用セミナーをやっていますが、初心者向けセミナーは数時間で満席になります。アメリカでは野球やアメフトの話題と同じように資産運用の話をするのに、日本の職場では憚られる雰囲気があって、興味があっても誰にも相談できない。みんな悶々と悩んでいるから、セミナーに人が集まるようです。