最後の晩餐に行きたい店を言えるか?

ディナーの席では宗教の話は御法度。歴史の話をするのもあまりお勧めしない。歴史観が噛み合わないと飯が美味くなくなるからだ。ところが歴史に地理を絡めるとこれが結構うまくいく。たとえばワインの話題で相手が「ハンガリーのトカイワインが好き」とでも言ってきたら、「隣のスロバキアにも美味しいトカイワインがある。あの辺りは中央アジアから移動してきたフン族の通り道だから」と話題を広げる。「フン族はトルコを経由してハンガリー(フンガリー)に入り、エストニアやフィンランド(フンランド)のラップランドに行き着いた。だからハンガリー語とフィンランド語とエストニア語はよく似ている」などと歴史と地理を組み合わせれば、話は無限に広がる。

「生きているうちに行きたい名所はどこか」というのもディナーなどで盛り上がるテーマだ。西洋のディスカッションで最後に話がなくなって退屈してくると必ず誰かが言い出すのが「明日、この世が終わるとしたら、どこで誰と何を食べるか」。いわゆる最後の晩餐話である。一人ひとり語り始めると1時間ぐらいは座持ちする。アメリカ人は舌がどうしようもないのが多いが、ヨーロッパ人相手ならグルメも教養の1つになる。最後の晩餐に行きたい名店としてヨーロッパ人の2~3割から名前が挙がるのはスイスにあったミシュラン三つ星フレンチの「ジラルデ」(現在の店名は「ロテル・ドゥ・ヴィル」)だ。オーナーシェフのフレディ・ジラルデはフレンチの巨匠で、日本では三國清三が師事したことで知られている。

「ジラルデ」は私も何度か行っていて、1度、ナイキの創業者フィル・ナイトを連れていったことがある。西海岸で2番目の金持ちと言われるフィル・ナイトも、アメリカ人だから「ジラルデ」を知らなかった。フィルと彼の奧さんと副社長と私の4人で食事をして、いざ会計の段になったらカードが使えない。「ウチは現物の料理を出しているのだから、現金しか受け付けない」という態度なのだ。会計は20万円くらいだったが、そんな現金は誰も持ち合わせてない。結局、副社長が交渉して翌日にナイキ本社から電信で送金することで話がついた。今や世界最高のレストランと言われるデンマークはコペンハーゲンの「ノーマ」、南イタリアのアマルフィ海岸にある「ドン・アルフォンソ1890」、美食の街、スペインのサンセバスチャンの絶景レストラン「アケラレ」など、グルメなヨーロッパ人は名店にまつわる自分のグルメストーリーをそれぞれに持っていて、男同士のミーティングではこの話が一番盛り上がる。ただし夫人同伴の場合はいま一つ。「その店には私は行ってない。誰と行ったの?」という余計なフリクションを避けるために、夫婦で出かけた店を無難に選ぶからだ。