だが新卒で入社してからわずか1年半後、「コンタクトレンズの傷の有無を見極められるようになっても、私の人生でなんの役に立つのかな?」と思ったことをきっかけに退職。その後は自分がやりたい仕事として、アパレル業界に飛び込んだ。「自分の好きなブランドで働くことが楽しくて、夢中になっていました」と振り返る。

前田まり子さん(撮影/鈴木心)

しかし、アパレル2社目で、テナントとして入っていた大手ファッションビルの強引な営業方針と衝突。「無理のある接客がそんなに好きじゃない」と、5年ほど働いたアパレル業界からも離れることとなった。

次に働く場所として選んだのは、下北沢の有名雑貨店であり喫茶店も営んでいた「木曜館」(2013年閉店)。昭和レトロなアンティーク雑貨や手作り雑貨を扱い、フジコ・ヘミングや寺山修司から愛された名店だ。

「当時はバブルの頃で、学生バイトの一般的な時給は900円ぐらいだったのに、木曜館の時給は550円(笑)。それでも、そこで働く人たちはみんな自分の好きなことを仕事にしていて、それがすごく良かったんです。給料の安さはほかのバイトを2件掛け持ちして補っていました。そこまでしても、木曜館で働きたかった」

25歳で「飲食の仕事で生きていく」と決意

25歳となっていた前田さんは、木曜館と並行して働いていた池尻大橋のバーで「自分は食べ物の仕事でやっていこう」と心に決めた。「自動車整備工場をリノベーションしたバーで、調度品は一流だし、お酒も本当においしいものを出していたお店でした。自分の知らなかった、新しい世界を感じることができたんです。それでネイルも落として爪を切って、飲食の仕事をしていこうと決意したことを覚えています」と、前田さんは話す。

以降、イタリアン、フレンチ、インド料理、アメリカンダイナー、紅茶専門店、カフェ、バーテンダー……と、さまざまなジャンルの飲食店でアルバイト経験を重ねていく。だが、その後、「飲食の仕事をする」という決意は相変わらず胸に秘めながらも、身内の不幸などが重なったことから、人生に行き詰まりを感じたという。そこで出会ったのが、天然酵母のパンだった。