社会で許されない指導は学校でも許すべきでない

ここまで紹介してきたように、下着の色を指定しているだけでなく、それが厳格に守られているかどうかがチェックされ、場合によっては強制的に脱がされる。それも公衆の面前で、あるいは異性の教師から。こうした訴えは、特に女性生徒の側から、強い憤りとともに寄せられた。

荻上チキ・内田良『ブラック校則』(東洋館出版社)

仮に会社で、上司が服務規定を守っているかどうかといったような理由で、人前でスカートをめくりあげたらどうなるか。大きな問題となるはずだ。ところが学校では、それが許されるかのような空気が出来上がっている。校則は絶対であり、子どもは人権をもつ対等な市民として認められていないかのようだ。

社会に出るためには、身を守る手段を身につけることが必要だ。理不尽なものに、自分に暴力をあびせるものに対して、ノーと感じられることを教育することも大事なのだ。しかし学校では、「社会には理不尽なことがたくさんあるのだから、理不尽さに耐える訓練をしよう」として、無意味に厳しいルールを敷いている。セクハラ的指導もその一環となっているが、これでは社会からセクハラを減らす流れに逆行している。

「痴漢対策」の服装指導は典型的な誤解

加えて指摘しておきたいのが、「痴漢をする側も悪いけど、誘っているような服装をするほうも悪い」と、事例でも挙げられるように、これらの指導が「痴漢防止」の目的で行われている点だ。そもそも、本来は性被害を防ぐための指導であるはずなのに、それ自体が性被害を、それも学校内でもたらしているのだ。

また、「華美な服装で痴漢にあうかもしれない」という考え方自体が、典型的な誤解に基づいている。性犯罪は多くの場合、性欲ではなく支配欲等がその原因とされている。本当に痴漢対策を考えるのであれば、制服をやめるほうがよほど合理的だ。