今年1月、週刊文春が小室哲哉氏の不倫を報じたところ、小室氏は記者会見で、「介護疲れ」を明かし、引退を宣言。世間は「文春潰せ」と報道を非難した。それから半年。週刊文春は小室発言の嘘を暴く記事を繰り出した。元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏は「自分がついた嘘について、あの時『文春潰せ』と応援してくれた人間たちに釈明する責任があるはずだ」と問う――。
2018年1月19日、記者会見で引退を表明し、涙を流す音楽プロデューサーの小室哲哉氏。あの涙はなんだったのか。(写真=時事通信フォト)

不倫報道への批判や誹謗に、きっちり答えを出した

「小室哲哉、この恨み、晴らさでおくべきか」

6年の長きにわたって週刊文春の新時代を築いた新谷学編集長の最後の仕事は、小室哲哉(59)が記者会見で涙と共についた「嘘」を暴き、この不倫報道へのいわれなき批判や誹謗に対して、きっちり答えを出すことだったようである。彼は見事にそれをやってのけた。

「新谷文春」は次々に不倫スクープをかっ飛ばしてきたから、小室と女性看護師との不倫報道を忘れてしまった人も多いだろう。簡単に内容を紹介しておこう。

「小室哲哉“裏切りのニンニク注射”」という珍妙なタイトルが掲載されたのは週刊文春1月25日号だった。

音楽家としてかつてのようにヒット曲をつくれなくなっていた小室は、ストレスにより聴力が悪化し、摂食障害、睡眠障害、C型肝炎に襲われるようになっていた。そのためにニンニク注射を打ってもらうため看護師のA子に往診を頼むことが増えていった。

やがて彼女が「一番信頼できる人」「精神的な支えになる人」となり、深い仲になっていったというのである。文春は、女性宅や都内のホテル、時には、自宅に彼女を引き入れていた姿を何度も目撃している。

小室は2002年にglobeのボーカル、KEIKO(45)と“再婚”している。だが、11年にKEIKOをクモ膜下出血が襲った。以来6年もの間、リハビリに取り組むKEIKOを小室は傍らで支え、メディアの取材にも「僕にはこの人しかいない」「彼女に寄り添いたい」と自身の献身ぶりを語ってきたという。

記者会見は同情を引き「世論は沸騰した」

小室は文春の直撃に、「誤解を招く甘い言動が多々ありました。本当に申し訳ないと思っています」と答えたが、“男女の関係”は否定した。

「(A子さんの精神的な支えは)かなりありました。本当にお恥ずかしい話ですが、(この)五年、六年で、普通の男性としての能力がなくて、精神的な支えが必要だったと思います」と付け加えたのである。まさか2人で「あっち向いてホイ」をやっていたというのではあるまいな。

その上で小室は言葉を詰まらせながら「引き……時なのかなと思い始めている」と、引退をほのめかした。

文春が発売されると、小室は記者会見を開き、この業界から引退すると明言したのである。