今回事件が発生した福岡市内の起業支援施設も、そうしたコミュニティの「結節点」として頻繁に活用されていた場所だ。西日本新聞の報道によれば、事件後、福岡市はこの施設の一時閉鎖を決めた(6月26日より再開)。今回の事件の加害者・被害者双方が利用していたブログサービス「はてな」でも、主催するブロガー向けイベント(7月1日開催予定)を中止した。

これらの動きはまさに、言論に対するテロの「効果」が表れたものだ。テロは発信者らを萎縮させるだけでなく、彼らの周囲のコミュニティをも破壊する。こうした萎縮は驚くほど速い速度で拡散し、今後のブロガーやネットメディアのあり方に暗い影を落とすことになるだろう。

組織ジャーナリズムはテロにどう対抗してきたか

新聞社や通信社、テレビ局といった組織ジャーナリズムは、その発信力ゆえに恒常的に暴力やテロの標的になってきた。彼らはこうした破壊活動にどのように対抗してきたのだろうか。

日本国内で起きた対言論のテロとしては、31年前の朝日新聞阪神支局襲撃事件を含む、いわゆる「赤報隊事件」が最も有名だ。1987年5月3日(憲法記念日)に発生した、朝日新聞阪神支局襲撃事件では、小尻知博記者(当時29歳)が散弾銃で射殺され、もう1人の記者も負傷した。この事件は右翼活動家などの関与が疑われたものの、今日に至るまで犯人不詳の未解決事件となっている。

この事件の発生直後の1987年5月5日、朝日新聞は「暴力を憎む」と題した社説を発表し、「われわれは、暴力を憎む。暴力によって筆をゆるめることはない」と宣言した。また、読売新聞も社説で「自由と民主主義を支える言論機関は暴力や脅しに弱腰になることは決してない」と記し、朝日新聞との連帯を示した。日本ジャーナリスト会議も「言論、報道の自由と民主主義に対する卑劣な挑戦で許すことはできない。(中略)再発を許さないための言論活動をいっそう強める」とした緊急声明を発表したほか、業界労組などによる緊急集会の開催など、テロに言論で対抗する動きが相次いだ。

このように、これまで社会に強い影響力を発揮してきた報道機関は、業界全体で、言論に対するテロや暴力を「絶対に許さない」という強いメッセージを発信してきた。

しかし、ブロガーは彼らとは異なり、それぞれが独立した「たった1人の発信者」だ。テロを通じて、大勢の「たった1人の発信者」が脅迫される場合、同じように言論で対抗できるだろうか。「私はテロを絶対に許さないし、テロに屈して筆を置くことはない」と言い切って、今後も事件前と変わらず強気で発信していくことが果たしてできるだろうか。