だれが、いつ捏造したのか

5点の衣類は、南京袋(麻袋)に詰め込まれた状態で、味噌醸造タンク内で発見された。その衣類には血痕が認められ、捜査関係者は、犯行時の着衣と断定する。それが、袴田さんのものとされたのは、袴田さんの実家で発見され共布(ともぎれ)の存在であった。が、その経緯については疑わしい点がある。(詳細は拙著『袴田事件』(プレジデント社)参照)

5点の衣類が発見されたのが1967年8月31日で、それから2週間後の9月12日、袴田さんの実家が家宅捜索され、共布を領置した、というのであるが、捜査報告書には、<タンク内より発見された黒色ようズボンと同一生地同一色と認められ>と、発見と同時に「同一」と決めつけている。

捜索の際、袴田さんの母親は、共布が保管されていた場所を知らなかった。彼女が眼鏡をかけようとしたところ、捜査員が、「引き出しにあった」と、目前に提示したのが、この共布であった。彼女はその時初めてこのような共布を見た、と法廷で証言している。

もし、この共布を捜査員が持参したのであれば、ズボンを味噌漬けにする前、決定的証拠とするためこれを保管していた、と推測される。が、それを裏付ける証拠はない。

弁護側は、5点の衣類の色に着目した。実際に、血液を付着した衣類を麻袋に詰め、味噌漬けにする実験を繰り返した。その結果、およそ20分もあれば、5点の衣類と同様のものができる、と判明した。

逆に、1年にもわたって味噌漬けにすると、衣類は味噌と同色に染まり、付着した血液は黒色に変化して、それが血であるとは識別できない状態になるとわかった。

検察側も、血液を付着させた衣類を事件発生当時と同じ原料で製造した味噌に1年2カ月間漬ける実験を実施した。その結果は、弁護側とほぼ変わらなかった。衣類は味噌と同色になり、血液は黒くなって、検察側が法廷に提出した発見当時の5点の衣類の色とは似ても似つかないものとなった。

事件発生は1966年6月30日。袴田さんが逮捕されたのが、同8月18日。仮に袴田さんが、5点の衣類をタンクに隠した、とすると、その期間でなくてはならない。だが、そうなると、発見された衣類の味噌漬け状態は、あまりに新し過ぎる。

要するに、5点の衣類は、袴田さんが逮捕され、拘留された後、何者かが「捏造」し、タンクに仕込んだ、ということになる。