忘れられない、監督室での声かけ
自分にもっと「聞く力」があればよかったのに――。
私がそう痛感したのは、2008年、北京五輪に日本代表として参加したときです。当時、私はチームをまとめるキャプテン。チームには04年アテネ五輪の経験者に加えて、田中将大やダルビッシュ有など若くて勢いのある選手も多かった。予選期間中は選手間でコミュニケーションが取れていて、チームとしてまとまりがありました。しかし、本選に入ると故障者が続出。チームの歯車が狂い始めました。
そこでキャプテンとして気負ってしまったのでしょう。私はミーティングでも若い選手たちに、「こうしていこう」と自分の考えを一方的に伝えるだけになってしまった。若い選手は自分たちだけで固まるようになり、最後までチームの雰囲気は上向きませんでした。こちらから「田中、おまえはどうしたい?」「ダル、調子はどうや」と歩み寄っていたら、また違った結果になったかもしれません。
若い選手たちを引っ張っていくには、こちらから彼らの声に耳を傾ける姿勢が必要です。その点でさすがだと思ったのは、北京五輪で日本代表を率いた星野仙一監督でした。
予選に向けた代表合宿。監督室に呼ばれて行くと、星野監督のほか、田淵幸一ヘッド兼打撃コーチや山本浩二守備走塁コーチが待ち受けていました。
「気づいたことがあったら何でも言ってほしい。俺らには五輪の経験がないが、おまえにはあるんだから」
監督からこう声をかけられたものの、みなさん球史に残る偉大な先輩ばかり。私が偉そうに言える立場ではないと思って黙っていたら、
「わしら、こう見えても聞く耳はあるんやぞ」
と監督がニヤリ。おかげで気が楽になって、気づいたことをお話しすることができました。
五輪の後、星野監督と食事をする機会がありました。そのとき教えていただいたことも印象に残っています。
「人が何か耳に入れてくれたら、たとえ最初から知ってる情報でも『それ、知ってる』と言うな。どんな情報でも、『そうか、ありがとう』や」
たしかに「知っている」と言われると、次からは「これくらいの話ならもう知ってるかな」と遠慮する部分が出てきます。そういえば星野監督は五輪中、私が言ったことに対して1度も「知ってる」とは返さなかった。どうりで意見を言いやすかったわけです。
聞くことに関して星野監督と対照的だったのは、野村克也監督です。星野監督が懐の深さで下の意見を広く吸い上げたのに対して、野村監督は自分から核心を突いた質問をずばりと投げかけてきます。たとえば試合中に凡退すると、ベンチで立たされて、「なんであのボールを打ったんや。根拠はなんや」と答えられるまで質問が続く。味方の攻撃が終わってコーチに「監督、チェンジです」と言われるまで解放してもらえないことも珍しくなかった。まあ、質問というより説教に近いですが(笑)。いずれにしても野村監督はその場で本人にとことん考えさせるコミュニケーションで、とても勉強になりました。
現役引退から5年。私も今シーズンから東京ヤクルトスワローズのヘッドコーチになって、指導者には聞く力が必要であることをあらためて感じています。いま意識しているのは、自分の考えを伝える前に、まず選手に話をさせること。同じことを伝えるのでも、選手の言い分を1度聞くかどうかで納得感が変わってきます。とくに若い選手はそうです。