国会議員だけで政党の存亡を決めてしまった
【塩田】一方で枝野幸男元官房長官らが離党して立憲民主党を結党しました。
【大塚】あのような展開になった結果、立憲民主党を結党したことは理解できます。ただし、枝野さんは当時、民進党執行部のナンバー2。組織のナンバー2の対応として、立憲民主党結党に完全な正統性があるかという点については、いろいろな指摘があります。
【塩田】民進党に残った人たちの中で、党代表に選ばれました。
【大塚】総選挙後の10月28日の両院議員総会で前原さんが辞任を表明。「即座に辞めろ」という声もありましたが、前原さんは「31日に地方議員に釈明とお詫びを行ってから」との気持ちから、即辞任はしませんでした。そして29、30日の土曜、日曜の間に、かなりの数の同僚議員、特に参議院議員から「参議院議員中心の政党になった以上、参議院議員から代表を出すべき。不毛な対立を煽ることのないよう、『元祖中間派』と言われているあなたがやれ」と声をかけていただいた。
党内にいろいろなグループがありますが、私はどこにも属さず、たしかに「元祖中間派」です。先行きにさまざまな混乱と困難が予想できましたが、この局面、「元祖中間派」といわれる私が受けざるを得ないだろうなと思い、結局「身柄を預けましょう」と回答し、代表に選出されました。
【塩田】党員や議員の人たちが新代表に何を期待していると受け止めましたか。
【大塚】まずそこから混乱が始まりました(笑)。先行きの展開に関する議員の考え方は大きくは三つに分かれていました。第一は、総選挙で候補者を立てなかったのだから、民進党は事実上存在せず、もはや党としての役割は終わった。直ちに解散して新党を結党すべきとの意見。第二は、再び大きな塊となれるように、立憲民主党、希望の党に働きかけるべきとの意見。第三は、しばらくはじっと耐え、再結集の時節到来を待つべしという意見。この三つの意見をどのようにハンドリングするかが私に課されました。
「直ちに解散すべき」という意見は、心情及び考え方としては一定の合理性があります。もっとも、9月28日に、当時1500人近くいた全国の地方議員の意見を一言も聞かずに、たった20分の国会議員だけの両院議員総会で政党の存亡を決めてしまった。直ちに解散したら、また同じことを繰り返すことになります。それはできない。そこで、地方議員に何度も集まってもらい、十分に意見交換をすることとなりました。
「しばらくじっとして、地道にやればいい」という意見は、無所属の会のベテラン衆議院議員、非改選組の参議院議員に多い意見でした。しかし、3党バラバラで1年とか1年半、独自路線で運営していくと、おのずとそれぞれの文化、考え方、党風が決まっていく。そうなってからの結集はハードルが高くなり、困難です。時間はかけられない状況だと思いました。
衆議院議員はしばらく選挙がない。選挙に強い無所属の会のベテラン議員にとっては、しばらくはじっと耐え、時節が到来したら自分たちが主導権を握って再編をしかければよいという深層心理だったと思います。しかし、来年の統一地方選挙を控えた地方議員、改選組の参議院議員にとって、1年とか1年半、じっと待っていればよいという考え方は到底受け入れられないものです。
いろいろな点を総合的に勘案し、結局、3党がもう一度結束していく、単に同じ形になるのではなく、プラスアルファの大きな塊にしていく。それを目指していくことが、この局面では相対的に合理性が高いという判断から、その方向の動きをしているわけです。