周囲の期待に応えて生き残る

キャリアの節目には、立ち止まって悩み抜くべし
図を拡大
キャリアの節目には、立ち止まって悩み抜くべし

しかし、キャリア・アンカーを貫こうとしても、それだけではうまくキャリアを積むことができない。キャリア・アンカーと同時に大切なのが、シャインが考えたもうひとつの概念、キャリア・サバイバルである。

アンカーが内なる声に応え、自分らしさを貫くための基軸だとしたら、サバイバルは外からの要請に応え、生き残ることを意味する。これに関しても、『キャリア・サバイバル』(白桃書房)という診断ツールを私が翻訳した。上司や部下、取引先といった仕事関係者はもちろん、家族、友人、地域コミュニティなど、さまざまな人が自分に寄せる期待を理解し、それをうまくやり遂げるのに必要な技能や態度、価値観について考えるものだ。日々の仕事のやり繰りで精一杯という人は特にキャリア・サバイバルを見直してみてほしい。

しかし、気をつけたいのは、ともするとキャリア・アンカーを貫くことが単なるわがままになり、キャリア・サバイバルを重視することが人の言いなりになってしまうということだ。

例えば、パナソニックや京セラのように、理念の濃い会社に入ると、会社の方針に共鳴して受け入れていく部分が必要となる一方で、染まるばかりでなく、自分を貫く、言われた以上の仕事をするという面も必要となる。これを両立させることが、会社と個人の関係を「なあなあ」にさせないのだ。

さて、置かれた状況にうまく適応していくということは、偶然をうまく活かしていくことでもある。アンカーにとらわれてばかりいたら、自分の隠れた能力に気づかないかもしれない。海外勤務や部署異動など、自分の意に沿わない(=アンカーとは違う)ことでも、時にはチャンスだ、と思って賭けてみることも忘れてはならない。

シャインもそれを「創造的機会主義」という言葉で呼び、評価した。シャイン自身も創造的機会主義で自らのキャリアを切り開いてきた。キャリア・アンカーという概念も、前述したように、目論見通りにいかなかった調査から生まれたものなのだ。

最後に、アンカーもサバイバルも考えすぎて、憂鬱になってしまうのだったらやめたほうがいい、と付け加えておく。

ウィリアム・ジェイムズという哲学者は、「人生は生きるに値するか、という悩みが頭から離れない」という相談を学生から受けたら、つぎのように答えるしかないという。「人生、生きるに値するかどうかは私にもわからない。でもはっきりしているのは、生きるに値するという信念が人を動かすということだ。そうやって張り合いをもって毎日を過ごしたら、何事かを成し遂げることができる。その結果、人生は生きるに値するものになっていく」と。その通りだと思う。立ち止まって延々と考え続けても時間は空しく過ぎ去っていくだけだ。

自分のキャリアについて考えた結果、心配の淵に沈もうが大きな希望を抱こうが、あまり問題ではない。むしろ肝心なのは、考えた結果、次へのアクションを起こす気になったかどうかである。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=荻野進介)