「やめて!」。そう抗議する彼女を、他の子供たりはむしろ攻め立てた。せっかくあなたがウケを取れるよう、ケーキを1つダメにしてまでみんなでお膳立てして「あげた」のに、怒ったり泣いたりするのはおかしい、と。
とっさにうまく反論できなかったものの、それでもこの場にいることが何より苦痛だと感じた彼女は、そこから逃げるように駆け出した。走りながら、「良かったね」と優しく送り出してくれた母の顔を思い出し、このまま帰ったら母を悲しませると思った。自然と、その足は家路ではない方へ向かった。
公園のトイレで顔を洗い、そのまま向かった先は、小学校低学年まで住んでいた団地だった。このままあそこから飛び降りたら、自分がどんなに苦しかったか、あの子たちにわからせることができるかもしれない。そんな思いと、母の笑顔が、彼女の頭の中で交錯した。
私は、彼女の母親からそれまでにも何度かいじめの相談を受けており、この件の一報を受けたときは、同じ区内で別の打ち合わせをしたその帰り道であった。人を探すのは私の得手な調査であったから、この女子児童が階段の踊り場で階下をのぞき込んでいるところを、無事保護することができた。
しかし、もしも私の発見が遅かったら、母の笑顔を思い出せなかったら――。ボタンが1つでも掛け違っていれば、彼女は自殺してしまっていたかもしれない。
反省しない子、逆ギレする親
この後、私は何が起きたかを聞き取ってから、被害者である彼女とその母とともに、いじめた側の連中に抗議しに行くことになった。彼らがばらまいた例の写真はすでに拡散しており、若干の「炎上」を起こしていた。
その場で反省し、謝罪をする親子もいたが、遊びだったと一切反省をしない子、子供のやることに親が出てくるのは間違いだと、抗議することそのものに反論した親もいた。そのくせ、自分が同じ目にあうことは嫌だとも主張する。