閉塞する現代に必要な「縄文の旅」
簡単なことだ、と平野さんは言う。太郎の言っていたことを、今この閉塞する現代に生きるわれわれに響くテーマとして受け取ればいいのだ、と。
「縄文」とは遠きにありて思うものではない。あなたの目の前に実はある。例えば田舎に帰ってお正月を迎えたら、ごく普通に出てくる「漆器」。漆の掻きかたから、木地のひきかた、真っ赤な顔料を加えて木地に漆を何度も何度も重ねていくそのやり方は、およそ1万年前、日本の山里で完成していた。「たたら製鉄」も同じだ。花崗岩の山の土を水で丹念に洗うと砂鉄がとれる。山で取れるもうひとつのもの、燃料としての木材と一緒に焚き込むと「鉄」ができる。両者は関係していて、漆の技の全工程に、鉄の力が前提としてある。
田んぼは「縄文」ではなく、「弥生」であるなどと早合点してはいけない。山を崩して平らにしたのは、実はタタラのカンナ流しなのだ。春に山あいの田んぼで行われる「花田植」は、山の民と里の民の交歓の場。一日に千里を駆ける体力(本当にそれくらいのスピードで山中を走り回っていたらしい)と鉄器を売って得た豊富な資金で、山に住む男たちは、里に住む女たちを引き寄せた。
では、女は待つだけか。そんなことはない。太郎が「縄文の旅」をする前後に教えを乞うていたと思われる日本民俗学の巨人・宮本常一は、故郷周防大島の若い女たちの暮らしを書き残している。普段は田んぼと畑と、夜なべのわら細工づくりで寝る間もない。だが気に入らないことがあると、プイと家を出て船に乗り、またたく間に瀬戸内海を渡って、道後温泉の宿が立ち並ぶ松山で、自力で生き、蓄財までして帰ってきたそうだ。
2025年大阪万博を「縄文=里山資本主義万博」とする
大事なことは、そうしたダイナミックな山の民、海の民の暮らしは、縄文の昔どころか、戦争が終わり、高度経済成長がはじまる昭和40~50年代まで、普通の暮らしとして営まれていた、ということだ。その後の変化があまりに激しかったから忘れてしまっただけで、取り戻せないような大昔のことではない。そのことをしっかり認識しておきたい。私は「縄文は結構簡単に取り戻せる」などと思っているぐらいだ。
縄文の怪物、太陽の塔を蘇らせた平野さんは、このあとどこに向かうのか。ご本人は否定的だが、せっかく2025年大阪万博を誘致するなら「縄文の申し子」である平野さんを司令塔として、まさに200年以上の万博の歴史を反転させ、人間と自然が主役という新機軸の「縄文=里山資本主義万博」を打ち出せないものか。平野さんの今後の動きから、目が離せない。
スーパープレミアム『よみがえる太陽の塔“閉塞する日本人”へのメッセージ』
3月19日(月)午後9:00~11:00(NHK BSプレミアム)
スーパープレミアム『完全中継「復活 太陽の塔」』
3月21日(水)午後7:00~9:00(NHK BSプレミアム)
日曜美術館 『岡本太郎「“太陽の塔”井浦新が見た生命の根源」』
3月25日(日)午後20:00~20:45(NHK Eテレ)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
1964年生まれ。京都出身。87年東京大学法学部卒業後、NHK入局。報道局・大型企画開発センター・広島局などを経て、現職。ディレクター、プロデューサーとして、一貫して報道番組の制作に従事。主な制作番組にNHKスペシャル「オ願ヒ オ知ラセ下サイ~ヒロシマ・あの日の伝言~」(集英社新書から『ヒロシマ 壁に残された伝言』として書籍化)「マネー資本主義」(新潮文庫から同名書籍化)「里海SATOUMI瀬戸内海」(角川新書から『里海資本論』として書籍化)などがある。広島局で中国地方向けに放映した番組をまとめた角川新書の『里山資本主義』は40万部を超えるベストセラーに。