入社2カ月で生まれた「伝説」

中央タクシーに入社した新人は2週間の研修を受ける。地理を覚え、車両の使い方やタクシーチケットの処理の仕方などタクシー業務の基本を学ぶ。しかし、最初の1週間は、経営理念を学ぶのに費やされる。後に述べるように、理念や憲章を唱和することはもちろん、創業当時の会社から現在までどのような歴史があったか、エピソードを交えながら学んでもらう。

そこでは、社員たちの伝説も紹介している。すると、新人たちが是非自分も伝説を創ろうと意欲的に仕事に取り組む。先輩の伝説を聞くうちに、新人たちも、いつか自分でも伝説を作りたいと思うようになるのだ。

ある新人は、入社してわずか2か月目に伝説を作った。そのタクシーに乗り込んだ乗客が体験を語っている。3歳の息子に関することであった。

ある日こと。早朝の長野駅に、親戚の結婚式に出席するため、東京からやってきた若い夫婦と男の子の3人連れの姿があった。男の子の母親は、中央タクシーに乗り込むと運転手にこう言った。「すみません、途中で子供服を売っている店に寄ってもらえませんか?」

長野の冬は予想以上に寒く、母親は息子のために、厚手の靴下を買おうと思ったのだ。ところが、早朝のためどこの店も開いていない。結婚式場は車で1時間かかる山の上だ。開店を待っていたら結婚式に間に合わない。山の上はさらに気温は低いだろうが、式に遅れるわけにもいかない。結局、靴下はあきらめ、親子3人は式場に直行することにした。

入社2か月の新人タクシー運転手は、家族を無事に山の上にある結婚式場に送り届けた。その帰り道のことだ。30分ほど走ると、ロードサイドに開店したばかりの衣料品店が目に入った。するとその運転手は少しの迷いもなく衣料品店に立ち寄り、店員に相談した。「厚手の靴下がほしいのです。このくらいの大きさのお子さんなのですが」。

運転手は、サイズを間違えてはいけないと、念のため2つのサイズの冬物の靴下を買い、今来た道を再び山の方へ走り始めた。30分かけて教会に到着すると、先ほどの乗客に「どうぞ、これを使って下さい」と靴下を手渡し、驚く母親にお礼を言わせる間もなく、そのまま立ち去ったのである。

母親から心のこもった手紙が届いた

この運転手は、そのエピソードを会社で話すこともなかったのだが、後日、その母親から中央タクシーに御礼の手紙が届いて明らかになった。その手紙にはこう書かれていたという。

「先日は、○○での挙式の際に、大変お世話になり、ありがとうございました。当日は、バタバタしておりまして、あまりお礼もできず失礼いたしました。あのときご用意くださった靴下のおかげで、息子も風邪をひかず元気にしております。あの日は大切な人の結婚式で私も幸せな気持ちでおりましたが、○○様のお心遣いでさらに幸せな一日となりました。今まで何度もタクシーを利用しましたが、○○様のような親切で、すがすがしいドライバーさんにあったことがありません。式に同席しておりました親族もみな感動しておりました。靴下の件以外にも、車内での会話や気配り、言葉使いなど、随所に親切さやさわやかさが感じられ、私にとってはナンバーワンのドライバーさんです。どうぞ、これからも素晴らしいお人柄を生かして、お仕事頑張ってください。当日お渡しできなかった靴下のお代を同封いたします。私の気持ちですので、どうぞお気になさらずお納めくださいませ」

手紙を出した母親は、今でも、その靴下を大切にしている。卒園式の写真には、中央タクシーの運転手から手渡された靴下を履いた息子さんの姿が写っていた。

こうしたサービスをしても、運転手たちは、特別なことをしているとは思わない。だから、会社に帰って、自慢するわけでもない。客からの感謝の手紙で「そんなことがあったのか」と初めて知ることが多いという。