なぜ釜石市には「希望の灯」がともっているのか
岩手県釜石市。日本の近代製鉄業発祥の地となり、鉄鋼業の発展とともに繁栄を続けたこの町も、1989年に新日本製鉄(新日鉄)釜石製鉄所の高炉が停止されてから、かつてのにぎわいを失うようになった。
63年には9万2123人を数えた人口も、08年には4万1806人にまで減少した。『希望の再生』のはしがきの中で編者の玄田有史と中村尚史は、「釜石は、単に地域社会の問題を考えるための一事例にとどまらない意義をもつ。高齢化、人口減、産業構造の転換など、日本社会に迫り来る近未来を、一身に体現している地域である」(viiiページ)、と書いている。これが、希望学が、釜石市を調査対象として選択した第一の理由である。
高炉閉鎖や人口減少の印象が強いため、事情をよく知らない部外者のなかには、釜石市に対して、地方経済の疲弊と企業城下町の衰退という「二重の悲劇」に見舞われたさびれた小都市であるという、先入観をもつ人がいる。しかし、実際に釜石市を訪れ、キーパーソンにインタビューを重ねると、そのような先入観が間違っていることに、すぐに気づかされる。釜石市の人々は、下を向いていない。活気ある町の再生をめざして、上を向き、前を向いている。別の言い方をすれば、釜石市には地方再生の「希望の灯」がともっているのであり、希望学が同市を調査対象とした第二の、そして最大の理由を、この点に求めることができる。
釜石市には、地方都市の再生につながる注目すべき動きがいくつか見られる。そのおもなものは、次の3点にまとめることができる。
第一は、新日鉄釜石製鉄所の高炉停止後も、製造業が健闘していることである。新日鉄は、高炉停止後も、自動車用高級線材の北日本における生産拠点として、釜石製鉄所の操業を継続している。生産規模を縮小したとはいえ、欧米の多くの鉄鋼メーカーが高炉停止と同時に工場そのものを閉鎖した事実と比べると、この新日鉄の措置は、地元経済への打撃に歯止めをかける意味合いをもつものと言える。