※本稿は、『プルデンシャル流 心を磨く営業』(プレジデント社)の第3章「原動力」の一部を再編集したものです。
MDRTに憧れ、念願の入会を果たしたが……
横浜第二支社の三木英範は、外資系船舶関連の会社から外資系損保ブローカーの営業を経て、プルデンシャル生命のライフプランナーに転身した。転身を決めた理由の一つに、MDRT(Million Dollar Round Table、生命保険と金融サービスの卓越した専門家による国際的な組織)の存在があった。
「営業所長にお会いしたとき、名刺に、MDRTのシンボルマークである盾が印刷されていたんです。MDRTとは何か聞いたところ、会社や国を超えて世界中の生命保険に携わるトップ営業にのみ入会が許される組織であり、毎年アメリカで行われるMDRTのミーティングには、全世界から何千名もの会員が集まり、情報交換をするというではないですか。自分も絶対にその仲間入りをするんだ! と思ったことを覚えています」
三木は入社後、念願のMDRT入会を果たした。そして、MDRT内のボランティア組織に参加し、大会を運営していく立場にもなった。さらにその2年後には、日本人で初めて海外の本部のコミッティメンバーにも選ばれるという偉業を成し遂げたのだ。
ところが、皮肉にもその年、三木はMDRT入会基準を満たす成績を残せなかったのである。
「順調に過ごしてきましたが、大きな挫折を味わうことになりました。一種の『燃え尽き症候群』に陥っていたのかもしれません。営業について理解した気になり、慢心していたのだと思います。これから先、どうしたらいいのかわからない日々が続きました」
精神的に追いつめられ、どん底状態だった三木は「いったい何のために復活したいのか?」を真剣に考えた。
「自分がこれまでどれだけの人に助けられてきたのか、まずはノートにその人たちの名前を書き出してみました。会社の先輩、同僚、他社の仲間、MDRTのスタッフの皆さん、お客さま、そして家族……一人ひとりの顔を思い浮かべながら書き連ねていくと、優に100人を超える方々の名前が並んだんです。改めて自分がいかに多くの人々に支えられていたのかがわかりました。
すると、お世話になった人たちに、このままでは申し訳ない、なにか恩返しをせねば、という気持ちが芽生えてきました。自分が頑張っている姿を見せることが何よりの恩返しになると気付き、やっと自分がなぜそうまでして復活したいのか、という理由が明確になったんです」