現在は子育て中の妹も姉の活動を支え、当時は最前線で接客を続けた。「徐々にお客さんに浸透し、ケーキが1日に100個売れた時は大喜びでした」(千寿氏)と振り返る。メディアも取り上げるようになった。テイクアウトで洋菓子を買った子供世代が自宅で話すと、「あそこは昔、行っていた」と親世代が応じて、後日一緒に来店するなど、顧客も広がった。

店の立地に合わせて、新商品を開発

“喫茶店にうるさい”名古屋人相手には、飲食の味や雰囲気が一段と大切だ。たとえ製造や販売の技術があっても、店で洋菓子をつくって提供するだけでは視野も広がらない。現在は「本店」「ジェイアール名古屋高島屋店」「松坂屋本店」(名古屋市)、「ジャズドリーム長島店」(三重県)の4店舗を展開する同社にとって、飛躍のきっかけは“他流試合”だった。

(上)本店の喫茶(サロン)の様子。(下)田中千尋氏(社長兼シェフパティシエ)と千尋氏の夫である水野貴之氏(同社専務)。

「98年に三越名古屋店さんから『催事』のお誘いをいただいた。初めての経験でドキドキしながら実演販売したところ、商品が飛ぶように売れたのです。その後、各地で実演販売をするうちに、ジェイアール名古屋高島屋さんから出店の声がかかりました」(千尋氏)

「父の代からの歴史がある本店は、遠くからいらっしゃるお客さまも多い。一方、デパ地下は、前を通った方が、いろんな店を比較して買うことも多いので、特徴的な商品も投入しました」(同)。2000年に出店すると、東海地方の表玄関・名古屋駅内の百貨店からは、週替わりの新商品を求められるほど鍛えられた。東京や神戸など老舗店が並ぶ“デパ地下”の洋菓子売り場で、地元店は「レニエ」(西区)と「カフェタナカ」の2店だけ。来店客層の違いも学んだ。

どうせなら「地元産の食材を使ったお菓子を作ろう」と考え、西尾の抹茶や岡崎の八丁味噌、名古屋コーチンを使った商品を試行錯誤の末に完成させた。「名古屋フィナンシェ」(抹茶と八丁味噌の2種類)や、名古屋系喫茶の名物・小倉トーストにヒントを得た「NAGOYAロール」「名古屋コーチンカステロ」などだ。当地の土産としても人気となった。

その後に出店した、アウトレット内の店(ジャズドリーム長島店)では「ジェラート」を、老舗百貨店内の店(松坂屋)では「ゴーフレット」(フランス流のゴーフル)も投入した。