深夜4時に社長の家のピンポンを押した

【大野】環境事業は波がありつつもうまくいって、最後は月1500万円の利益が出て、早めに上場しようという話も出るほどでした。ただ、この会社を一生やりたいかというと疑問でした。それに私自身、大きな組織をつくる能力があるのかと考えると自信がなかった。上場の前に会社のことを勉強し直したいと思って、弁当宅配事業のスターフェスティバルに入社することにしたんです。

サイバーセキュリティクラウド代表取締役 大野 暉氏

【田原】この連載で、スターフェスティバルの岸田祐介社長とも対談しました。おもしろい会社だったけど、どうしてそこに?

【大野】岸田さんはたまたま隣に住んでいて、以前から話す機会がありました。しかも会社を設立したのも2009年と同じで、親近感がありました。ただ、自分の会社は従業員15人なのに対して、スターフェスティバルは当時100人くらいまで伸びていた。違いは何だろうと夜中に考えていたら、居ても立ってもいられなくなり、深夜4時に岸田さんの家のピンポンを押していました。

【田原】夜中の4時!?

【大野】岸田さんは気づいたらしいですが、さすがに居留守を使われて出てくれませんでした(笑)。仕方がないので、「勉強したいからスターフェスティバルに入れてください。明日話しましょう」と紙に書いて玄関に挟んで帰りました。それが入社のきっかけです。

【田原】スターフェスティバルで、大野さんは何をしていたのですか?

【大野】最初は社長室長をしたり、オフィス用品通販アスクルに出向したりで1年半。そこからシャショクルという新規事業の立ち上げを任されました。それまではインターネットだけでお弁当を販売していましたが、シャショクルではお昼に企業にお邪魔をして対面でお弁当を販売します。当時でお客様は100社くらい。私自身も営業していましたが、社員の健康を確保したいという企業からたくさんの引き合いをいただきました。

【田原】岸田さんの会社で勉強したいといった。何かつかめましたか。

【大野】3年いましたが、辞める前は約300人の会社になり、私も半分の170人のチームを見させてもらいました。15人の会社のときは、やはり自分中心。でも、成長させるには自分だけではダメで、メンバーの力をグッと引き出さなくてはいけないということを学びました。

【田原】16年にサイバーセキュリティクラウドの代表になられる。お弁当屋さんとは分野が違いますが、どうしてセキュリティの会社を?

【大野】もともと関心があったのは、ビッグデータ、AI、そしてサイバーセキュリティ。とくにサイバーセキュリティは国を挙げて対応しなければいけない分野なのに、日本企業が育っていなかった。