ウンビョルは、朝鮮コンピューターセンターが97年に開発した囲碁AIだ。日本・科学技術融合振興財団(FOST)が主催する世界コンピューター囲碁大会では、98年に初優勝を飾り、03~06年に4年連続優勝、09年には全勝優勝を果たした。また、05年に行われた「世界コンピュータ囲碁大会・岐阜チャレンジ」でも全勝優勝を勝ち取っている。

98年当時、国際舞台に突如として登場した北朝鮮の囲碁AIに対し、世界からは懐疑の目が向けられた。関係者やメディアからは、「これまで最強だった中国のプログラムを複加・加工したものではないか」という噂話がどこからともなく出回ったのだ。しかし、ウンビョルがその後も結果を出し続けるにつれ、その懐疑は次第に賛辞に変化していくことになる。

若手研究者たちが生んだ躍進劇

ここでひとつ疑問が湧いてくる。それは、「北朝鮮はなぜ囲碁AIの分野で世界に先駆けることができたのか」というものだ。05年の世界コンピュータ囲碁大会・岐阜チャレンジ優勝後、北朝鮮の機関紙「民主朝鮮」が組んだ「ウンビョル特集」からは、そのヒントが浮かびあがってくる。

「民主朝鮮」によれば、当時ウンビョルの開発に関わったのは、20代を中心とする若手研究者たちだった。技術的には「状況評価の重要な部分である死活判定、また状況評価部分の模擬理論を新たに生み出し、それをベースにナビゲーション精度を高いレベルで確保」したことが、躍進劇の決め手となったと評価している。つまり、中国の技術をまねたのではなく、石の「生き死に」を判断・管理するAIの能力を独自に磨きあげることで、世界のライバルたちを打ち負かすことができるようになったというのだ。

また同特集では、北朝鮮における囲碁AIの重要性も強調し、「斥候兵」と表現。つまり、情報通信技術の研究全般をリードするマイルストーンとして位置付けていたことになる。そして何よりも重要なのは、研究に対して「党レベルの全幅的な支援を進めている」と書いていることだろう。言い換えれば、国家として囲碁AI開発を積極的にバックアップしていたということだ。

ここで、当時の北朝鮮の情報通信産業(IT産業)状況について触れる必要があるだろう。韓国・統一省の分析によると、北朝鮮がIT産業に投資を始めたのは80年代からだったとされている。ただ、対外的にその動向が明らかになり始めたのは98年から。98年といえば、建国の父・金日成主席の死、そして自然災害による「苦難の行軍」など、90年代半ばに起きた相次ぐ悲劇が一段落していた時期だ。そのため国際的には、前後の時期に比べて、北朝鮮政権の国内・対外的安定性が高いと評価されている。